スギヤマ薬品の薬剤師

 杉山貴紀は何故過労死
したのか?

 

 

平成20年3月17日提出 準備書面(2)に対する反論陳述書

 

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○平成20年3月17日提出  控訴人準備書面(2)に対する母の陳述書

 

 

以下、控訴審第1回口頭弁論日(平成20年3月19日)の前に控訴人(スギヤマ薬品)から提出された控訴審・準備書面2に対する母の反論陳述書を公開。

※第1回口頭弁論についてはこちらをご覧下さい。
 

※伏字等ご了承下さい。

 


 

陳述書 (2)


杉山ふじ江
 

                    
1 「僕が薬剤師になったから安心して、いつかきっと腕のいい医者と出会える、お父さんとお母さんが長生き出来るように、いい医者を見つけて絶対長生きさせて上げるからね。」と薬剤師資格を取得した日、主人と私にこんないじらしい言葉をかけてくれた貴紀が、不本意にも私よりずいぶん先に逝ってしまいました。それはスギヤマ薬品の過重労働により命を奪われてしまったからです。以来、私達家族はとても、とても寂しくて辛い日々を送っています。
 

この悲しみに追い討ちをかけるように、私達を苦しませ続けているのは我が愛息が命がけで尽くした会社、スギヤマ薬品です。
 

先日3月5日付でスギヤマ薬品から控訴審・準備書面2が提出されました。この準備書面について、私の思いを書かせて頂きたいと思います
 


2 私が豊田労働基準監督署長に提出した嘆願書が事実ではないとスギヤマ薬品は述べていますが、当時の私はあの文章を書く事さえ辛く、悲しみに打ちひしがれる思いの中、泣きながら書いたものです。大切な息子を失った私が、貴紀の軌跡を一つずつ思い出しながら書いたものなのです。なぜ嘘を書かなければならないのでしょうか?全て事実ですし、何一つ嘘は書いておりません。
 

今、嘆願書(甲A3号証)に書かれた事実を否定するスギヤマ薬品の態度は、真実を認めて頂いた労働基準監督署長、名古屋地方裁判所の判決をも否定するものであると思います。またスギヤマ薬品は裁判所に証拠として提出した録音テープが改ざんされたものであるかのように述べられていますが、そのような意思も技術も私どもは持ちあわせておりません。
 

子供を亡くした親の辛い思すら察することが出来ず、いつまでもこものような主張を繰り返するスギヤマ薬品の態度には強い憤りを感じています。
 


3 またインターネットのHPの記事を多くの方にご覧いただいている様子については嬉しく思っております。掲載に関しましては皆様に公開するものですので慎重に全体的にかなり控えめに書いております。内容に付きましては決して間違ったことは載せておりません。
 

本年1月22日の進行協議後のやり取りに関しましても、かなり省き、抑えて書いてございます。スギヤマ薬品の控訴審・控訴人書面2の2頁〜4頁には私に対する悪口ばかりが書かれています。これはこの裁判の論点からずれているのでは・・・と素人の私ながら感じています。
 

スギヤマ薬品の控訴審・控訴人書面2の3頁(3)(4)、4頁から5頁の内容は、●弁護士がご自分を擁護、美化するため、作った嘘の言動だと思います。●弁護士はご自分がおっしゃったことをお忘れになっていると思います。また私と主人が言った言葉もはき違えております。私は一言いっただけです。
 

進行協議終了後、裁判官の方々が退出された後の出来事ですし、録音していた訳でもありません。
 

今となっては、言った言わないの水かけ論となってしまいます。このような事を、わざわざ書面にして提出されるその意図を図りかねます。私に虚言癖,誇張癖があるように書かれていますが,その言葉は、そのまま●弁護士の書かれた書面の内容に当てはまる言葉だと思います。
 

威圧などしないとの事ですが、私達遺族にはあの日の●弁護士からの大声を聞いただけでも威圧と思えたのです。まさに弱い者いじめとしか思えませんでした。
 

また水野弁護士が「あんたが悪い。これはもう闘争だ!」といった発言をされたとありますが、これも事実に反しています。水野弁護士は、あの時、「本末転倒だ」とおっしゃっていたのです。●弁護士ご自身には、もうこの言葉に含まれている意味がお分かりかと思います。
 


4 私の思い
@ そして、私にはどうしても気になっている事がございます。この陳述書を書くにあたり思い切って書かせて頂く事にしました。
それは昨年10月5日の判決日、スギヤマ薬品本社へ「控訴しないで下さい」のお願いに伺った時の事です。私と主人の目の前には杉山貞之社長と川本利夫専務が座っておられました。●弁護士が一人興奮され大声を上げている中、私が前にいらっしゃるお二人に「もしご自分のお子さんが貴紀のようになったとしたらどうお思いになりますか?」とお尋ねしました。お二人は黙ったままでした。ところが,●弁護士が大きなどなり声で「お母さんと、うちの女房で同じだ!」と私をみておっしゃいました。私はその時、あ〜先生もお子さんを亡くされているんだと・・・それ以上、私からお話するのは控えました。
 

ところが後日、事実を知りました。「同じ」ではないのです。
 

なぜあの時軽々しく「同じ!」などと言えたのでしょうか?
 

自分より先に子を送らなければならなかった親の辛さは想像を絶するものです。貴紀に逢える事が叶うわけでもない毎日、雨の日も風の日も欠かさずお墓参りをするこの親の気持ち、全く分って頂けていないようです
生前貴紀が使っていた携帯電話番号へ今でも電話してしまい、ハッとする時があります。本当に寂しいものです・・・。
 

今でも●弁護士のあの日の言葉は、私の心の内に重く刻み込まれています。人間としてこんなにも薄情な方がいるのでしょうか?・・・。と思います。
 

A そして地裁からの裁判を経験しながらいつも思って来たことは、E店長が真実を語っていたならば全てが既に終っていたという事です。E店長は「真実の貴紀」を知っているはずだからです。
 

B また、今回、Nさんの陳述書が証拠として提出されています。
NさんのHPについては、貴紀が生前勤めていた会社がどのような会社なのか調べているうちに偶然にたどり着きました。何気ない個人的なHPだからこそ、その内容から本当に大変な仕事なのだと実感させられました。
陳述書の日付を見ましたら平成17年11月19日に書かされたものです。なぜ今頃になって提出したのでしょうか。不可解な思いがしています。
 

C 私達家族にとって何にも代え難い貴紀を失い、生きる気力さえ奪われてしまいました。主人と私は生ある限り貴紀の無念を背負っていこうと決めております。何時の日か貴紀が眠るところへ逝き、あの子に逢った時に「少しは無念を晴らせたのかしら?」と聞けることを心に誓いながら。

平成20年3月17日


名古屋高等裁判所
   民事第2部  御 中

 

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