母:杉山ふじ江
ある弁護士先生からのご依頼を受け、K大学ロースクールにてスピーチを行って参りました。
用意して読んだ原稿の内容的には、あまり上手くまとまらずに反省点ばかりですが・・・。
ロースクールに通う学生さん達の、少しでもお役に立つお話ができたのなら良かったと思います。
将来のために勉強する若者の眼差し・・息子貴紀を思い出していました。
貴重な体験の機会をいただき、本当にありがとうございました。
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「過労死裁判・・・法律を学ぶ学生さんにおくる」
皆さんこんにちは、初めまして。
静岡から参りました杉山でございます。
きょうは○○先生よりご依頼いただき、過労死裁判での思いなどのお話を・・との事ですが、人前でのお話は苦手で不慣れな私です。分かりにくい点が多々あるかと思いますが、どうかお許し頂きたく思います。
このお話を頂きました時、私の脳裏に、なつかしさと同時に、複雑な思いと、寂しさが込み上げました。
それは私の息子貴紀が、ここから程近い大学の薬学部で、4年間過ごした思い出深い土地だからです。
卒業したのは2000年の春、もう9年以上も前になります。息子の生前、私も何度かこの地を訪れていますが、とても心地良かった記憶があります。
その貴紀が過労死して丸8年半の月日が流れています。
今でも毎日思う事は、貴紀がなぜ死ななければならなかったのか!
そして、貴紀の命を奪ったスギヤマ薬品は、未だに遺品の返還もしないまま、反省の色も見せず、私ども遺族に対する謝罪が全くないこと・・・
許せない思いが続いているのです。
悔しいですね。
すでに皆さんは本件HPなどをご覧頂いているとの事ですので、労災認定と裁判について少しだけお話させていただきます。
私どもと離れた生活を送っていた貴紀の過重労働の実態が、把握困難にも関わらず、労災認定された理由の一つには、退社された方々の真実のお話が聞けた事があげられると思います。
私と主人は何日もかけ、静岡から名古屋へと退社された方の自宅を突然に訪問させて頂きました。
突然にも関わらず「あ〜杉山さんの〜」と、皆さん親身になってお話して下さいました。
とてもありがたく思いながらも、貴紀の、辛い中で頑張り通した姿がまざまざと浮かびあがってきました。
親として、可哀想で・・涙がとまりませんでした。
もう一つはスギヤマ薬品の労務管理のズサンさが浮き彫りになった事です。
タイムカードはなく勤務表は一ヶ月分まとめて書いていました。
こんな会社があるんだ!と驚きでした。
豊田労働基準監督署も詳細に調べて下さっていたのだと、のちに覆命書を読んで分かりました。
しかし、労災認定後も、スギヤマ薬品は「過労死ではない、勝手に死んだ!」と、決して認めようとしませんでした。
その後の損害賠償裁判は、高裁までの約3年半の闘いとなりました。
考えたこともなかった未知の世界での闘いには、苦しみと憤りの連続、そして悲しみを沢山抱えながらの裁判だったと思い出されます。
裁判中、私が一番辛かった事は、被告スギヤマ薬品から提出される書面を読む時でした。
書面の宅配便が家の前に止まる、もう動悸の始まりです。
そして読みだす・・ワーと止めどない涙、その書面には誹謗中傷に加え貴紀の一日中の行動、しぐさ、話した言葉、休憩時に食べた物までが事細かく書かれていました。
まるで貴紀の専属カメラマンでも居たかのような書面でした。
明らかにウソで塗り固められた作文ですが、それでも読む度に貴紀のがんばりを否定や侮辱され、とてもとても辛いものでした。
のちの裁判で、スギヤマ薬品側の●弁護士は、裁判長から「なぜこんなに細かく分かるのですか?」と問われ、「いつも貴紀さんの傍に居た店長、パート、アルバイトの確かな記憶ですので」と、堂々とお答えになっていました。
凄い記憶力の持ち主が揃っているのですね?
貴紀が入社してから過労死するまでの1年2ヶ月間の毎日を、でっち上げ作文でまとめ、提出してきたのです。
結果的には、地裁、高裁とも勝利判決を頂きました。裁判官は真実をしっかりと見ていて下さいました。
静岡から名古屋という、遠地での裁判で私の悩みとなった事があります。
それは、どのようにしたら一人でも多く傍聴に来て頂けるのか・・・でした。
考えた末、まず、傍聴して下さった方々にお礼のお葉書を出しました。そしてまた次の裁判が近くなった頃、傍聴お願いのお葉書を出させてもらいました。繰り返し、繰り返しのこの作業は原告の私どもにとって、とても大変な作業だったと今でも思います。
健康センターさんのお力添えも頂き、裁判の後半には満席になる程の御支援を頂くことが出来ました。
傍聴人は無言の弁護人・・・だと私は思っています。
嬉しかったこともあります。
長男がHPを開設した事は、私どもにとって、本当に良かったと思っています。誹謗中傷を覚悟しての開設でしたが、300通以上頂いたメールはすべて励ましと情報提供のメールばかりでした。
スギヤマを退社された薬剤師さん、社員、パートさん、そして今お勤めになっておられる方、他のドラッグストアーに勤められている方、様々な方からの励ましを沢山頂きました。
一字一字に込められた優しい情が、悲しみの底にいる私どもにとって、どんなに勇気付けられた事か知れません。
本当に嬉しかったです。
のちに法廷へ証人として立って下さった勇気ある方も、HPへ情報を寄せて下さった、元スギヤマ薬品の薬剤師さんなのです。
勝利への架け橋でした。大変有り難く今も感謝の思いでいっぱいです。
そして、昨年9月17日一審を上まわる完全勝利の素晴らしい判決を頂く事が出来ました。
貴紀の命がけの頑張りが司法でも認められたのです。
裁判が終結した今、夢始まったばかりで、たった24年の短い生涯を閉じてしまった貴紀の人生を、ふと考える事があります。
親として寂しい思いに加え、救ってあげれなかった後悔、そして一生懸命駆け足で生きた貴紀の姿は永遠に消え去ることはないのです。
また、忘れてはならないと思っています。
殺人企業スギヤマ薬品は貴紀の死を絶対に無駄にしないで頂きたい、そして人の健康を説く前に人の道を説いてほしい!切に願っています。
これから法律家の道へ進まれる皆さんに、もう一つ聞いて頂きたい事があります。
いま○○先生がいらっしゃいますのでお話しさせて頂く私には、少し戸惑いもあります。が聞いてください。
裁判は、勝利判決が下され、会社から損害賠償金が支払われることで、終結しました。しかし、貴紀は戻ってきません。
金銭目的の裁判でないはずが、
最終的には金銭の解決しか無いのです。
これは貴紀の命の値段なのでしょうか?・・・むなしいですね。
会社は判決を真摯に受け止め反省し、心から亡くなった者への謝罪をするのが、人の道ではないでしょうか?
しかし、スギヤマ薬品からの謝罪はいっさいありません。
裁判は闘争です。そして、相手方を擁護する弁護士は意地悪で、憎らしくて、快く思えないのは当然のことだと思うのです。
しかし、弁護士としての仕事上とは言え限度があるのではないでしょうか?
裁判の回を重ねるごとに腹立たしさが増して行きました。
結果的に、裁判官はどちらが真実か、きちっと判断して下さいました。
「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
常に深い教養の保持と高い品性の陶やに努め、法令及び法律事務に精進しなければならない。」
弁護士法に載っておりました。
私自身、いま、人のふり見て・・・を実感させられています。
皆さんには是非とも弱者の気持ちの分かる人になって頂きたいと思います。
最後に、
私の人生にとって、母として、子供の幸せが、私の幸せに繋がることです。
皆さんのご両親も、皆さんの幸せを切に願っていると思います。
ご両親を大切に。そして元気な声を聞かせてあげて下さい。
本日は、本当にありがとうございました。
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