○平成19年11月26日 スギヤマ薬品から控訴理由書が提出されました。
母:杉山ふじ江
平成20年1月22日(火)午前10時30分〜進行協議期日(非公開)と決まりました。
控訴人スギヤマ薬品から提出された控訴理由書には、地裁の「原告勝訴の判決」は間違いである!豊田労基署の「労災認定」も全て間違いだとされています。
しかし、何を根拠に「間違いである」と言っているのか、何回読んでも全く理解に苦しみます。また、法律のシロウトの目から見ても矛盾点や論理的におかしなところが沢山あるように思います。
労災認定・・・3年近く続いた裁判・・・原告「全面勝利」の判決・・・それにも関わらず、大した根拠もなく、亡くなった貴紀を侮辱し、まだ遺族を苦しませ続けるつもりでいるのでしょうか?
そもそも、人々の健康をサポートするはずの企業でありながら、社員の死に何の想いも寄せ無いのでしょうか?
裁判等を通じ、スギヤマ薬品(ドラッグスギヤマ)の企業としての劣悪な姿勢を感じています。
今、スギヤマ薬品(ドラッグスギヤマ)にお勤めの皆様に敢えて言わせて頂きます。「あなたの会社はヒドイ会社です」
※以下、スギヤマ薬品が提出した控訴理由書を公開致します。伏字等ご了承下さい。
控訴人 株式会社スギヤマ薬品
被控訴人 杉山正章 外1名
控訴理由書
平成19年11月26日
控訴人訴訟代理人弁護士 ●
同 弁護士 江坂 正光
同 弁護士 服部 千鶴
第1.控訴理由の骨子
1.原判決は、故杉山貴紀(以下、貴紀という)が平成13年6月7日死亡するに至るまでの控訴人永覚店における労働時間につき、平成13年5月8日から同年6月6日までの期間において、合計338時間11分の拘束を受け、この内労働時間は310時間11分であり、上記期間における貴紀の時間外労働時間は約138時間46分となると認定した上、その認定の理由を縷縷述べている(原判決31頁以下)。しかしながら、かかる認定は、およそ事実誤認以外の何ものでもなく、この点のみにおいても、失当として到底取消を免れないものである。
2.さらに原判決は、かかる「過重労働」を前提とした上、当該「過重労働」が、心室細動などの致死性不整脈を成因とする心臓突然死を含む心停止発症の原因となるものであったと認定している(原判決35頁)。かかる認定もまた、本件における医学的所見に照らし著しい事実誤認である。
貴紀の死亡の原因は、気道閉塞による窒息死であり、当該窒息死は、控訴人における同人の業務とは何らの因果関係がない。したがって、この点によっても原判決は失当として到底取消を免れないものである。
3.そして原判決は、かかる誤った「過重労働」なる認定事実を前提として、「被告は平成13年5月8日から6月6日までの間において、労働基準法32粂1項に照らすと、およそ138時聞46分にも上る時間外労働に貴紀を従事させ、また、この期間中、貴紀に対して、僅か2日間の休日しか与えず、これにより貴紀は、業務に伴う疲労を過度に蓄積していったものである。」等々と判示した上、「被告は貴紀の死亡について予見することが可能であった」とし、「被告は安全配慮義務に違反しており、貴紀の死亡に対して債務不履行責任を負う」と認定した。しかしながら、かかる認定もまた、前叙の如くおよそ誤った「事実」を前提としたものである点において失当であること明らかである。
第2.貴紀の真の労働時間
1.E証人、K証人及びKm証人の信用性
(1)貴紀の平成13年6月7日死亡前の約1ヶ月間における労働時間が合計310時間11分という長時間に亘るものではないことは、原審におけるE証人、K証人及びKm証人が具体的に述べたことにより、十分に立証されたところである。
(2)にもかかわらず、原判決は、E証人及びK証人については、いずれも一方的に信用できないとして、これを排除した。しかして、Km証人については、何ゆえにかその信用性の有無については触れないまま、むしろ19頁第3第1項4行目において、「証人Km(1部)」と証拠の1つとして挙げることにより、あたかもKm証人の証言がその一部であるにせよ、原判決の認定の裏付けとなるかの如き判示を為した。
(3)ここで改めて強調すべきは、原審における上記証言の際、証人K、同Kmは、いずれも控訴人を退職し、別会社にて働いていた者である(証人K調書1頁末尾より9行目、証人Km調書 1頁)。従って、これら証人は、いずれも当該証言時において、控訴人と利害関係のない者であり、その証言の信用性は極めて高いのである。にもかかわらず、原判決は、何らの合理性、説得性有る理由を示すことなく、両証人が貴紀の永覚店における労働時間について述べた具体的な証言を、全く採用しなかった。かかる原判決の事実認定は、およそ健全な経験則に基づく正しい事実認定とは言えない。原審裁判官は、何故にか、貴紀の「過重労働」の存在という予断を一方的に持った上、かかる予断を導くための偏頗な採証方法をとったものと評しても過言ではないのである。
(4)また、証人Eは、現在も控訴人の従業員である者であるが、原審における被控訴人ら自身の各供述において、貴紀は、Eに関し、「E店長をあれ程崇拝するくらい信じておりました。」「とにかくE店長はE店長は、ということで、本当に親兄弟みたいな信頼関係があったと私は思っておりました。」(以上、原審における被控訴人杉山正章調書 3頁)、「店長がすごくいい人だ、あの人は信用できる人だって、大好きだ」(被控訴人杉山ふじ江調書 2頁末尾より4行目以下)と述べていた事実によっても、Eの証言は、十分に信用性のあるものであることが裏付けられるのである。
(5)原判決は、貴紀の退店時間と題する争点につき、33頁1行目以下において、「前掲証拠、特に、E及びTの労働基準監督署での聴取書等(甲A第19、32、33号証)に、当時、店舗を施錠して帰宅する際は一人で行なわず、複数の者が残って一緒に帰宅するようにとの指示が被告からされていたこと(甲A第12、19号証、乙第19号証)を併せれば、別紙1勤務時間等表のV欄のとおり遅番及び通し勤務であったこの間、貴紀は店舗が施錠されるまで居残っていたものと認めるのが相当である。」と判示した上、「なお、証人Eは労働基準監督署での聴取書(甲A第19号証)の趣旨が上記のようなものであることを否定するが、不合理かつ不自然であって信用できず、これに反するその他の証拠も上記証拠に照らして採用できない。」とした。かかる認定は、以下のとおり事実誤認の最たるものであること、火を見るより明らかである。
なるほど、現在、控訴人においては、防犯上の理由により閉店後セコムの施錠まで正規従業員2名が残るように義務付けている。このような指示を出す契機となったのは、平成13年6月5日に株式会社ド
ラッグスギヤマ東名古屋の加木屋店(東海市所在)において、閉店後、店舗に1人で残っていた店長が、セコム施錠時に二人組の強盗に襲われたことによる(乙第32号証)。
それ以前は、特に店長若しくは店長代理が最後まで一人で残って自己の作業を行い、セコムの施錠をして帰宅することがほとんどであった。貴紀が勤務していた当時の永覚店においても同様であり、閉店後、店舗に残ってセコムを施錠する役割は、店長であるE、店長代行であったI、Kらが一人で行っていたものである。かように、前記強盗事件の以前においては、控訴人が閉店後の退店について特に2名以上で行うよう指示をしていたことはなかったのである。被控訴人らは、原審において、E(甲A第19号証、作成日・平成16年8月6日)、T(甲A第32号証、作成日・平成15年3月7日)の豊田労働基準監督署における聴取書の記載を引用して、貴紀が店長や店長代行らと一緒にセコムを施錠するまで永覚店にいたかのような主張を行い、原判決は、漫然これを採用した。しかしながら、これら聴取書は貴紀が亡くなって2年から3年後に作成されたものであり、被聴取者の記憶の点で極めて信用性が乏しく、むしろ作成当時の実情が反映されてしまったがために、誤った説明が為されたものである。また、被控訴人らは、控訴人の元従業員であるTrからも「氷覚店は寂しいところだかで、前に刃物を持った人が2度ほど入って、それからは、必ず2人残っているようにしたと聞きました。」と聴取したかの証拠を原審において提出した(甲A第12号証19頁・被控訴人らの聴取日平成15年3月2日)。しかし、永覚店に強盗が入った事実は存在せず、刃物を持った人物が侵入したという事実もないのである。かくの如く、証人Eの原審における証言は、合理的であり、自然であって、その信用性は十分であること疑いを入れない。にもかかわらず、原判決は、かかる客観的な証拠をも採用しなかった点において、採証法則を誤った違法すらあると評しても過言ではないのである。
(6)イ.また、原判決は33頁以下の(3)において、勤務ローテーション表と一致しない勤務表の記載は正確であるとの控訴人の主張を、「E証人、K証人の陳述書や証人E、同Kらの証言のうち、控訴人の上記主張に沿う部分及び勤務表の記載は全体として信用することができない」と認定した。これまた、重大な事実誤認である。
ロ.すなわち、(原審における控訴人準備書面2(53)に記載したとおり)平成13年5月11日午後3時頃、Ksブロック長から永覚店のE店長宛に電話があり、Kが同年5月28目に朝日ケ丘店へ異動する予定であったものが5月21日に早まったことが判明した。そのため、5月11日午後4時ころ、事務所で、EとK、貴紀が協議し、3名の勤務シフトを変更したのである。まず貴紀の同年5月21日の勤務シフトを「遅番」から「通し」へ変更し、5月23日、24日の連休の希望を受け入れ、5月22日の「休み」の予定を「通し」に変更し、23日、24日を「休み」とした。しかし、5月24日はKmも「休み」であり薬剤師不在となってしまうため、同日はKsブロック長が永覚店へ出勤することとなったのである。
ハ.原判決34頁2行目以下では、「しかし、ローテーション表の提出者であり、かつ、勤務表の管理責任者であったEは、平成13年5月23日と24日に貴紀が休日を取得したかにつき、平成16年8月6日に受けた労働基準監督署での事情聴取において、勤務表と勤務ローテーション表の記載が一致しない理由を尋ねられて、いずれが正しいか記憶がないと答えており(甲A第19号証37項)、同人の証人尋問においても、平成13年5月23日と24日に貴紀が休日を取得したか記憶がないと答えている(同証人40、41頁)。このように、2日続けて休日を取得したか勤務したかというような重要な部分について、事実がどうであったか記憶がなく、勤務表と勤務ローテーション表の記載がー致しない理由も説明できない以上」云々と判示した。しかしながら、Eが平成16年8月6白に受けた労働基準監督署での事情聴取において、勤務表と勤務ローテーション表の記載が一致しない理由を尋ねられた際、及び原審における平成13年5月23日と24日に貴紀が休日を取得したか否かを裁判官より尋ねられた際の共通点は、いずれも、Eは、監督署のN事務官、裁判官のいずれからも、勤務ローテンション表(乙第5号証)のみを示して当該質問をぶつけられ、しかもその際、貴紀の勤務表(乙第2号証の15)は見せられないまま質問を受けたことである。したがって、Eとしては、平成13年5月23日及び24日が、その前後の各日にちの中のどのような位置付けの日であったか、咄嵯に理解ができなかったが故に、正直に、その場では、「記憶がない」旨を述べたのである(乙第62号証 E第2陳述書4頁参照)。原審におけるE証人の調書40頁以下を詳細に検討すれば、更に次の事実が容易に看てとれる。即ち、E証人は、裁判官から乙第5号証(永覚店ローテンション表)のみを示されつつ尋問を受けた。その際(40頁末尾より13行目以下)、同人は、「(5月)23(日)は休みだと思います。」と答え、更に裁判官から「24(日)は」との質問に対し、「24(日)は出勤したと思います。」と答えた。しかし、Eは、当該答えを為した際、(おそらく初めての証言台という緊張のため)乙第5号証中の貴紀の欄ではなく、誤ってKの欄を読んでいたのである。このことは、裁判官より続けて「何か根拠になるものはありますか。」と問われたのに対し、「24日というのは、安城店に応援に行く日だと思いますので、そのときは1日前にキヤンセルになってますので。]と答えたが、すぐに「あれっ・‥」と声を発したのである。これは、結局、Eは、5月23日、24日とも、貴紀が休みをとったという正しい記憶が頭の中にあったにもかかわらず、乙第5号証をその場で読まされた際、終始、Kの欄を貴紀の欄と読み誤ったまま答えていたため、自己の記憶と乙第5号証の記載とのギヤップにとまどったまま、混乱し、正しい答えを為すことができないままに終わった、との思考プロセスを如実に現しているものなのである。
ニ.したがって、Eの労働基準監督署における上記陳述及び原審法廷での上記証言のいずれも、E証人自身の真摯且つ正直な性格を立証するものでありこそすれ、当該証言をもって、「だからEの証言は信用できない」と認定することは、およそ的外れどころか、採証法則を誤った事実認定であると、厳しく批判されるべきものである。すなわち、仮に、Eが、偽証を敢えてする不正直な人物なのであれば、労働基準監督署や裁判所の当該質問に対しては、「勤務表に書いてある通りです。」等と証言して、言い逃れる方法もあったのである。Eは、かかる姑息な方法を考える如き人物ではなく、極めて誠実な人物であるが故に、正直に、その時における記憶を、そのまま「記憶がない」と述べたのである。Eの労働基準監督署における上記陳述及び原審法廷での上記証言は、せいぜい、同人の上記陳述及び証言によっては、平成13年5月23日と24日に貴紀が真実休みをとったことにつき、これを立証することができなかったに留まるものであって、なんら同証人の信用性をも否定することにはならないばかりか、むしろ同証人の信用性を高めるものと言って何ら過言ではないのである。
ホ.なお、原判決は31頁末尾行ないし32頁5行目において、「貴紀が自室の机の前に貼り付けていた勤務ローテーション表(甲A第23号証、24号証)には、貴紀の出勤日及び勤務区分を訂正した手書きの書き込みがあるところ、通常そのような書き込みが行われるのは、その者の勤務日及び勤務体制の指定が変更となったことを明示するためであり、同表の訂正後の記載は、貴紀の実際の勤務日及び勤務区分を示すものと推認でき、これを覆すに足りる証拠や事情が存しない」と判示している。
しかしながら、前叙の通りにれを覆すに足る証拠や事情」は十分に存するのである。すなわち、乙第2号証の15(貴記の勤務表)の平成13年5月23日及び24日の箇所にいずれも貴紀の出勤印が無いことが、何よりも確定的な証拠である。仮に、両日、貴紀が真実、出勤したというのであれば、一体何故に貴紀が出勤印を押さなかったのか、についてのより強力な証拠が無くてはならないのである。Kmもまた、両日につき乙第65号証の陳述書にて、上記両日、貴紀が休みを取ったことを認めている。そして、貴紀がKmに対し、「(5月)24日は(貴紀、Kmの)二人共休みだね。」と語ったとの記憶を披瀝しているのである(同陳述書4頁13項)。
(7)そもそも、かかる原判決の事実認定は、控訴人の永覚店が、各従業員の勤務日数及び勤務時間を偽ったというものであるが、本件に関し、労備基準監督署は、控訴人に対し、かかる点に関する何らの行政指導を為しておらず且つまた、何らの法的制裁を加えていないのである。仮に真実、控訴人において原判決が認定した如き事実が存したのであれば、これを監督する行政庁より、しかるべき処分が為されてしかるべきものである(労働基準法第108粂、同法第120条第1項一号等)。
(8)しかして、原審において控訴人が各準備書面中において主張した「貴紀の勤務状況」は、いずれも、控訴人代理人らが、E、K、Km、さらにはKs、Iらより、幾度にも亘り、真摯な事情聴取を行い、可能な限りの真実の再現をなしたものである。したがって、例えば(原審の控訴人準備書面216頁に記載された)平成13年5月11日における貴紀の勤務状況の記載は、当該記載中において言及された各関係者の控訴人代理人らに対する説明を総合したものであって、何ら事実の捏造ではない。だからこそ、同日における5月23日、24日は貴紀が休みであったとの上述の経緯は、これを経験した者でなければ語ることのできない具体的な真実を述べているものなのである。
(9)遺憾ながら、E証人は、法廷において、裁判官からの貴紀の勤務ローテーション表のみを示し、勤務表を示さないでの質問に対し、当該各日時について、その場では思い出すことができなかった。しかしながら、これをもって、乙第2号証の15の記載の信用性をも否定することは、到底できないことは前叙のとおりである。
(10)そもそも、原審において控訴人が度々主張した如く、勤務表(乙第2号証の1ないし15)の出欠の欄に、出勤した場合の印を押したのは、貴紀自身に他ならない。しかして、Eは毎月7日までに勤務ローテーション表を作成し、その後、前月の勤務報告書を作成し、これとほぼ同時に、当月の勤務表に、前記勤務ローテーション表に基づき、「休」の文宇を手書にて記入するのが常であった(原審における証人E調書3ないし4頁、34頁)。そして、貴紀は、当該勤務表に自ら出勤した場合、これを示すための押印を行なっていた。したがって、Eが当該勤務表に「休」と記載していた日に、実際には貴紀が出勤した場合においては、貴紀において、当該「休」の文宇の上に、出勤した事実を示すために、押印したのである。この事実を端的に証する書面は、乙第2号証の7の平成12年で10月4日の欄及び乙第2号証の14の平成13年5月12日の欄である。当該各日には、「休」の文宇の上に「杉山」の印が押捺してある。したがって、このような各行為が現実にE及び貴紀によってそれぞれ確実に実行されていたことは、疑いの余地がないのである。にもかかわらず、Eが、貴紀において実際は永覚店に出勤したにもかかわらず、これを敢えて休みとした如き行為を為したというのであれば、これをうかがわしめるだけの、極めて強力な動機・理由があってしかるべきである。そして、原審の為したこのことに関する認定は、かかる動機・理由については、何ら言及していない。単に、E及びKの証言を信用しないと言っているに留まっているのである。その上、被控訴人らが原審において供述した如く、貴紀は、E店長を「あれ程崇拝するくらい信じておりました」「本当に親兄弟みたいな信頼関係があった(原審における披控訴人杉山正章調害3頁)、「店長がすごくいい人だ、あの人は信用できる」(原審における被控訴人杉山ふじ江調書2頁末尾より4行目以下)と言っていることからしても、E店長が貴紀の出勤日や残業時間につき、同人の勤務表にあえて虚偽を記載した如きことは有りえないのが、経験則の教える所である。
(11)さらに、原判決は34頁3行目以下において「勤務表は、長期間にわたって、連日同じ時間数の残業をしたとされたり、1ヶ月の残業時間数が同一であったりするなど不自然な点が多く」「実際よりも抑制した時間数を記載していた疑いがある」と認定している。 しかしながら、原審における控訴人最終準備書面16頁(5)に記載した通り、例えば平成13年1月乃至同年2月の2ヶ月間及び同年4月は、貴紀の時間外労働がいずれも1日1時間に統一されていることの理由は、貴紀自身が「早く仕事を覚えたい」との理由の下に残業したいとの希望を述べたので、Eはこれに応じ、貴紀に残業してもらったが故なのである。したがって、この点につき何ら不自然、不合理な点はないのである。同最終準備書面に記載した如く、「Km証人が度々述べている如く、控訴人永覚店は、暇な店舗であり、新人薬剤師たる貴紀をして残業をせしめる必要性が高かったとの事実は豪も無かったのである(Km証人調書4頁5行目、14行目、5頁末尾より6行目、6頁14行目、10頁末尾より8行目、11頁末尾より9行目)。K証人もまた同様の証言をなしていることは、また同準備書面に指摘した通りである(同証人調書18頁エ4行目以下、35頁1行目)。原判決は、何故にか、これら証人の証言に目をつぶり、残業をさせる必要の無い貴紀が、漫然EやKと共に店内に居残っていたとの認定を、何らの証拠に基づくことなく、行なったのである。
(12)イ.原判決は、34頁末尾より2行目以下において、「現に貴紀の死後、管理薬剤師となったKmは通し勤務が多かったこと(証人Km3頁)に照らしても控訴人の(貴紀において通し勤務はむしろ少なかった旨の)主張及びこれに沿う証拠は採用できない」と認定した。
ロ.しかしながら、Kmの上記証言は、同証人調書2頁末尾3頁にかけて述べている如く、同人が永覚店における唯一の管理薬剤師であった間の勤務ローテーションについて述べているものであること明らかである。これに対し、貴紀の場合は、同人が永覚店に配属されて以来、同人の死亡に至るまでの間、実質的に唯一の管理薬剤師であった期間は、同人の前任者たるIが永覚店より他店に転勤した平成12年10月16日より同13年4月16日(Kmが同店に仮配属された日)までの間であったのである。
ハ.そして、ここに注意すべきは、証人Km自身、その証言によれば、「通しが多かった」ものの、通しの時には常に午前10時から午後9時まで必ず店舗内にいたのではなく、「実際には、ほかの店を見に行くなどで、休憩時間以外に店舗を離れることもありましたし、お店の状況を見て、暇であると判断された場合には、早く帰ることもありました」と述べ、さらに、通しであっても早く帰っていいというような変更は、Kmが永覚店に管理薬剤師として勤務している間、月に2、3回はあった、と明言していることである。
原判決は、不当にも、Km証人のかかる証言については、何らの言及をしないまま(35頁3行目以下において)、「平成12年6月下旬から平成13年4月上旬までの間、貴紀には通し勤務がー度も無かったとする供述は、特に不合理」とー方的な断定をしている。
ニ.しかしながら、かかる断定は労働基準監督署における事情聴取当時に正に顕在化した薬剤師不在問題における控訴人関係者の対応をことさらに無視したものであり、いわば経験則に反した事実認定といって過言ではない。原判決はこの点につき(34頁末尾より5行目において)、「営業時間中は薬剤師を勤務させる必要があり」「現に、貴紀の死後、管理薬剤師となったKmは通し勤務が多かったことに照らしても控訴人の上記主張及びこれに沿う証拠は採用できない」と述べている、かかる判示は、Kmが永覚店における唯一の管理薬剤師となった時点は、その直後たる同年8月初旬、東京都薬務部において、夜間・深夜営業を行なう薬局、一般販売業に対して薬剤師の勤務状況を立ち入り検査した夜間―斉監視指導の結果を公表した(乙第67号証)時期に合致することを無視したものである。すなわち、丁度この頃、ドラッグストアにおける薬剤師不在問題がクローズアップされたときであり、だからこそ、Kmにおいては、通し勤務が多くなったのである。 したがって、Kmにおけるかかる事実をもって、貴紀においても通し勤務が多かったとの推認の根拠とすることは、およそ的外れな認定と言わざるを得ないのである。
ホ.さらに言うなら、貴紀の死亡後における永覚店でのKmの(平成13年6月16日ないし平成15年8月15目までの)勤務表(乙第56号証の1ないし25)によれば、Km自身、平成13年6月以降における同人の残業時間もまた1.5時間ないし4時間に留まっており、残業時間2時間の場合が大部分であることが見て取れるのである。そして、Km自身、同人の陳述書(乙第65号証)第6項及び第9項において同人の勤務表には、残業時間が多めに記載されていたことを明確に語っているのである。
したがって、かかる勤務表によって、証人Kmの証言が正しいことが裏付けられるのであり、換言すれば、貴紀において長時間の残業をする必要がなかったことが明白に立証されるのである。
(13)原判決は、32頁 ウ 休憩時間において、「貴紀については、1時間の昼休憩が与えられることになっていたにもかかわらず、休憩時間中に客から薬品等について説明を求められた場合には、休憩時間を中断して説明することになっていた」と認定した。そしてその証拠の一つとして、証人E調書36頁を挙げている。しかしながら、同証人は、同調書同頁において、「(貴紀は休憩時間中も呼び出される可能性は)あると思いますけど、私の記憶の中では、私のいる時にはなかったです。」と明確に述べているのである。
しかして、原審における控訴人の準備書面中、貴紀の勤務状況、並びに乙第2号証の1ないし15(貴紀の勤務表)、乙第7号証の1ないし13(Eの勤務表)等によって明白に言える事は、貴紀とEとが共に永覚店に出勤していた時間は、貴紀が永覚店に配属されて以来、死亡に至るまでの間の大部分を占めていること明らかであるのであるから、その間、貴紀が、同人の休憩時間中に、実際に客のために薬品等について説明を為した回数は、極めて少なかったと言えるのである。
2.勤務表の信頼性
(1)前叙の如く、原判決は34頁において、貴紀の勤務表の記載は、全体として信用できないと判示している。しかしながら、以下に詳述する如く、永覚店における各構成員の勤務表は、いずれも信頼するに足るものであることは、疑いの余地がないのである。
(2)乙第62号証のE陳述書第8項に記載のとおり、店長たるEがこれを明確に認めている。
(3)乙第65号証のKm陳述書第5項、第6項に記載のとおり、平成13年当時の永覚店の同僚たるKmもまた、これを明確に認めている。
(4)乙第66号証のK陳述言第2項に記載のとおり、平成13年当時の永覚店の同僚たるKもまた、これを明確に認めている。
(5)乙第64号証のI陳述書第5項、第6項に記載のとおり、平成13年当時の永覚店の同僚たるIもまた、これを明確に認めている。Iは、更に平成12年当時の自らの手帳(乙第68号証)の記載によって、自らの当該陳述が正しいことを裏付けている。
(6)乙第63号証のH陳述書第5項に記載のとおり、平成13年当時の永覚店の同僚たるHもまた、これを明確に認めている。
3.勤務表の信頼性、とりわけ5月23日24日、貴紀が連休を取ったことの証左
(1)Ia陳述言
イ.乙第59号証は、平成11年11月ないし同14年8月まで、控訴人永覚店でパートとして、勤務していたIa氏の(以下、Iaという)の陳述書である。同人は、現在は、全くの別のコンビニにてレジのパートとして働いる者であり、その陳述内容の信頼性は、極めて高いものである(同陳述書第1項参照)。
ロ.平成19年11月23にIaは、控訴人代理人●と、控訴人永覚店にて面会し、原判決文の写しを読んだ上、上記陳述書を作成することに応じたものである。
ハ.Iaは、同人の記憶によれば、貴紀が平成13年5月8日以降、わずか2日しか休みをとっていないということは、間違いだと思う旨を明確に述べている。
ニ.また更に、Iaは、乙第30号証の中の平成12年4月度から平成13年6月度までのIaの勤務表を●から見せられたのに対しても、具体的な陳述を為している(同陳述書第4項)。すなわち、Iaの勤務表は、同人の勤務日、勤務時間、休憩を抜いた実働時間が言いてあるところ、いずれもIa自身が手書きで書いたものであること、出欠の欄に押してある「Ia」の印も同人自身が押したものであること、並びに、これらは、すべて正確で間違いは一切ないことをそれぞれ明確に認めている。
ホ.更に、Iaは、●から平成12年4月度から平成13年6月度の貴紀の勤務表(乙第2号証の1ないし15)をすべて見せられたのに対しても、極めて具体的且つ信頼性の高い陳述を為した。すなわち、同人は、平成12年ないし13年の間、週に4日ないし5日、ほぼ午前10時から午後5時頃までの間、パートとして永覚店にて働いていたものであり、貴紀の勤務状況は、よく分かっていた旨を述べている。なお、同人は、上記貴紀の勤務表は、平成19年11月23日に初めて見るものであり、これらが作成された当時は、Ia自身は、見る機会はなかったものである。しかし、Iaは、平成12年ないし13年の間、貴紀自身から、勤務表について、例えば、自分が勤務したのに「休」と嘘の記載がなされたとか、残業時間が実際より短く書いてあるとかいうことを聞いたことは、一切無い旨を明確に陳述しているのである。
へ.そして、Iaは、●より貴紀が亡くなった直前の平成13年5月23日及び24日に貴紀が休みを取ったか否かについて、聞かれたのに対しても、以下の如く極めて具体的な陳述を為した(同陳述書第5項以下)。
(i)すなわち、乙第30号証の438丁が平成13年6月度のIaの勤務表であるが、これによると、平成13年5月23日には、Iaは午前10時から午後5時まで永覚店に勤務していたこと、
(ii)そして5月24日は、Iaは休みであり、翌25日には同人は午前10時から午後5時まで永覚店に勤務致したこと、
(iii)5月23日は、貴紀は休みであったこと、
(iv)翌日の24日は、Iaは休みであったので、貴紀は、休みであったか否かは断定できないこと、
(v)5月25日午前10時前の朝礼が終わった後すぐ、Iaは、当時、永覚店で販売するタバコの発注をする仕事があったので、店の事務所から電話をするため、事務所に来たところ、貴紀が、店内から事務所ヘ一人で来たこと、そして、貴紀はIaに、「タバコを吸っていいですか?」と聞いたこと等を具体的に語っているのである。
(vi)貴紀は、Iaの居る事務所内でタバコを吸い始めたところ、すぐにゴホンゴホンと咳き込んだため、Iaは貴紀の顔を見たところ、その顔色が悪いように見えたため、貴紀に対し、「風邪ひいているの?」と聞いたこと、等の具体的なやりとりをも陳述しているのである。
(vii)そして、Iaは、「このような、思い出がありますので、私としては、杉山さんが少なくとも、5月23日にお休みを取っておられたことについては、はっきり覚えているのです。」と、記億の内容についての根拠を述べているのである。
(viii)しかも、Iaは、上記とほぼ同じ頃、永覚店の休憩室のテーブルに、明らかにお土産と思われるおまんじゅうの箱が置いてあり、同店のパートやアルバイトの人々が、これを食べていたのを覚えているのである。しかも、その折り、貴紀がIaらに対し、「食ぺてください。」と言ったことも覚えているのである。そして、Iaとしては、貴紀が前日まで旅行に行ったのかなと思った旨も語っている。
(ix)更に、Iaは、このとき初めて、貴紀に彼女(女性友達)がいて、一緒に旅行に行ったのかなと思い、おもわず、貴紀に対して、「彼女いるの?」と聞いたところ、貴紀は、素直に、「はい。」と答えた旨も陳述している。
(x)そして、Iaは、このときも、「午前中と同様、杉山さんの体調が疲れておられるように見えたことも覚えております。私は杉山さんに、「寝てないの?」と聞くと、「寝てない。」と答えられました。私は、「栄養剤でも飲みなさいよ。」と言ったことも覚えています。」とも陳述している。
(xi)更に、Iaは、「私は、その直後、同僚のSkさんに、「杉山さん調子悪そうだね。」と話したことを記憶しています。」と述べた。
(xii)Iaが●に対し、上記の陳述を為した際には、控訴人永覚店における平成13年当時の同僚パートの1人たるSk(乙第61号証の陳述書作成者)も同席した。そして、Skは、その場で、この平成13年5月25日頃、貴紀が高山・下呂方面へ車で旅行をし、当該休みを取ることが決まったのが遅かったため、旅館の予約ができず、車中泊をしたと言う思い出をIaと●に語った。これに対し、Iaは、「今思えば、私が杉山さんに対し、「寝てないの?」と聞いたのに対し、杉山さんが、「寝てない。」と答えられたのは、まさに当っていたと思うのです。」と陳述したのである。
(xiii)また、Iaは、勤務時間中の仕事は、レジ係りをすることが多かったこと、夕方5時近くになると、永覚店は暇なことが多かったので、Iaがボーっとしていると、貴紀がレジの所へ来て、Iaに話しかけてくれることが度々あったことも語っている。そして、平成13年5月ないし6月6日までの間にも、同じことが度々あったこと、貴紀はIaに対し、「Iaさんも結構出てみえるね。」と話しかけられたことがあったこと、このような会話をしたのは、Iaの勤務表によれば、Iaは平成13年5月16日から18日まで3日間連続して勤務していたので、このように3日間も連続して勤務しているのに対して(貴紀が)気を使って言ってくださった、というように記憶していることを述べている。
(xjv)そして、Iaが貴紀に対して「杉山君も休むの?」と聞いたところ、貴紀が「うん。今度休み取るよ。」と答えたとのやり取りにつき、それが、貴紀が、平成13年5月23日、24日連休を取る予定であることを指して言ったのではないかと思う旨を語っているのである。
(xv)そして、Iaは、平成13年5月ないし6月にかけて、貴紀との間で上記と似たような会話をしたこどが他にもあったと記憶しているが故に、「同年5月8日ないし6月7日までの間に貴紀が2日間しか休みを取っていないなどということはあり得ないと思うのです」と語っているのである。
(xvi)また、Iaが永覚店に勤務していた間、永覚店は、さほど忙しい店ではなかったこと、唯一忙しいと同人が思ったのは、平成13年5月中旬の安城店の開店に伴う協賛セールの時だけであり、その前後とも、そんなに忙しくはなかったこと、従って、原判決の中で、貴紀が永覚店で大変な過重労働をさせられていたと書いてあるのは、間違いだと思うこと、貴紀が過重労働が原因で亡くなったというのは、Iaが、身近に貴紀を見ていた様子からすれば、とても信じられないことを、率直に陳述しているのである。
(xvii)その上更に、Iaは、同人と貴紀が永覚店で一緒に勤務していた間、貴紀は、午後に1時間の休憩をとっていたこと、貴紀は、その都度、Iaにも「食事に行って来る。」といった声をかけていたので、上記のことはIaにも確認ができたことを具体的に語っている。
(xviii)しかも、Iaは、「判決では、杉山さんは、E店長やナンバー2のKさんと一緒に、セコムの施錠時間まで、永覚店に居残っておられたと認定しておられます。しかし、これは正しくはないと思います。なぜなら、E店長は、大変、気配りのきく方で、杉山さんに対しても、「先に帰っていいよ。」とか、「そこまででいいよ。後は明日やればいいから。」といった言い方で、杉山さんが先に帰宅するように促しておられることが度々あったことを、私も直接耳にしたことを覚えているからです。」と明確な根拠で原判決の誤りを指摘しているのである。
(2)Fm陳述書
イ.乙第60号証は、平成12年5月から今日まで、控訴人永覚店でパートとして、勤務しているFmの陳述言である。同人もまた、前記Iaと同様の陳述を為している。
ロ.そして、貴紀が亡くなった直前の平成13年5月23日及び24日に同人が休みを取ったか否かについて、具体的な事実を語っている。すなわち、平成13年5月25日の午後、Fmもまた、貴紀が前日まで高山・下呂方面へ車でドライブに行ったということを聞いた旨を陳述しているのである。
(i)Fmは、前記Ia及びSkと同席して、●と話をした上で、「Skさんは、お土産としてお酒の入ったおまんじゅうをもらわれたとのことです。私はおまんじゅうは好きでないので、おまんじゅうはもらっておりません。その場で、私は、杉山さんに、「いいとこへ行ったね。」と話しかけたことを記憶しております。」と具体的に述べている。
(ii)上記事情聴取時の会話のひとつとして、Fmは、貴紀がSkに対し「急に休みをとったので、予め旅館の予約がとれなくて、車中泊をした。」ということをSkが語ったことを受けて、「ですから、杉山さんは、5月23日と24日の少なくとも二日間は、永覚店を休まれたと言えます。」と陳述している。
(iii)更に、Fmは、「その日の杉山さんの様子ですが、私が見るところでは、多少、疲れておられる様子でした。しかし、杉山さんがその後6月7日に急死されることになった原因として、裁判所の判決で言っておられるような過労の状態であるとは、とても見えなかったことは、はっきり言えます。」と率直に述べているのである。
(3)Sk陳述書
イ.乙第61号証は、平成12年5月から今日まで、控訴人永覚店でパートとして、勤務しているSkの陳述書である。同人もまた、前記IaやFmと同様の陳述を為している。
ロ.Fmもまた、貴紀が亡くなった直前たる平成13年5月23日及び24日に貴紀が休みを取ったか否かについて、●から尋ねられたのに対し、極めて具体的な陳述を為している。
(i)同人は、平成13年5月23日は、永覚店に勤務していたが、貴紀が休みであったか否かは、覚えていないこと、また、翌日の24日は、Skは休みであったので、貴紀は休みであったか否かはわからないこと、
(ii)しかしながら、Skは、「5月25日だったと思いますが、永覚店の休憩室のテーブルに、明らかにお土産と思われるおまんじゅうの箱が置いてありました。私は、午後2時30分頃、たまたま店の外の駐車場で杉山さんとお話をしました。その時私は、おまんじゅうは、杉山さんがお土産として持ってこられたのかなと思いましたので、「どこかへ行ってきたの?」と聞きました。すると杉山さんは、「飛騨高山・下呂方面へ行ってきました。」と答えられました。そこで、私は、杉山さんに「お土産ありがとう。」と言い、更に「どこ泊まったの?」と聞きました。それは、私も下呂が好きなので、どこか良い旅館に杉山さんが泊まられたのであれば、と関心を持ったために、そのような質問をしたのです。それに対し、杉山さんは、「急なお休みで、どこもホテルが取れなかったので車中で一泊したんです。」と言いました。そこで私は、笑いながら、「大変だったね。体ガタガタになったねえ。」と言ったのを覚えております。」との具体的な陳述を為しているのである。
ハ.更に、極めて重要なことは、貴紀の健康状態につき、Skは、次のような指摘を為していることである。「ところで、私が見るところでは、この当時の杉山さんは、健康状態は常時、良くなかったようでした。その原因は、私が見る限り、杉山さんは、食事と言えば、カロリーメイト、カップ麺、それにお菓子といったものばかりで、しかも、タバコを少なくとも2時間に1本は吸っておられたのです。ですから、私は、判決では、杉山さんが過労のため死亡されたように書いてありますが、むしろ、仕事の疲れと食生活の悪さの両方が原因というべきではないかと思うのです。」との、当時の貴紀を直接身近で見ている者でなければ為しえない具体的な陳連をも為しているのである。
第3.原判決の認定する貴紀の永覚店における勤務状況に関する事実誤認
1. ドラッグストアの運営体制に関する認識不足
原判決においては、被控訴人の永覚店を含むドラッグストア店舗の運営体制の現実を無視し、貴紀の勤務状況について、何らの客観的な証拠もないまま事実に反する認定を行なっている。控訴人ドラッグストア店舗における業務の内容については、控訴人の原審における準備書面9第1項2(8頁以降)で述べたとおりである。
(1)原判決は、32頁4行目以下において、肯紀が平成12年8月末以降、医薬品、健康食品及び医療雑品の商品管理並びに接客の責任者として稼動しており、「商品の管理としては、商品の発注、毎週水曜日と金曜日に納品される商品の荷受け、在庫の管理、品出し、前出しの業務があり、その中にはダンボールに入った20kgほどの重さのある商品の運搬等の肉体労働もあった」と認定している。しかしながら、貴紀は、この頃、同人が担当する部門の商品管理の責任者であり、原判決の認定している商品の発注、納品の荷受、品出し、前出しなどの業務を担当実行しているものではなかった。これら業務の実行者は、担当パートであった。貴紀がこれらの作業を行うことがあっても、それはあくまで補助としてであったのである。また、重最が20kgもあるダンボールに入った商品など存在しないのである。すなわち、ダンボール入のティシュペーパーなどでもぜいぜい14kg程度である。これらの運搬も永覚店においては、女性のパートが台車を使用して十分こなしていたのである。訴外Tの陳述書では、「ティッシュなどは20kg〜30kgくらいの重量」になると述べられており、原判決は客観的な考察もせずに、Tのかかる陳述をそのまま鵜呑みし、もって事実誤認を犯しているものである。
(2)原判決は、22頁11行目以降、貴紀は「パートやアルバイトがレジに従事しているときなどには、商品の補充をしたり、問屋から送られてくる商品の納品荷受作業などに従事し」たと諾定している。しかし、永覚店においては、毎日、必ずレジ担当のパートと商品担当のパートが配置されており、レジにパートが入っているからといって、貴紀が商品の補充及び納品荷受作業に従事しなければならないという状況はあり得なかったのである。また、納品荷受作業の行われる日には、特に荷受作業を行うためのパート及びアルバイトが配置されており、貴紀が作業を実行する必要のない体制が整えられていたのである。
(3)原判決は、22頁下から5行目以降、貴紀は「営業時間終了後も、POP作成などの販売促進のための作業を行ったり、商品の発注、陳列、補充作業等を行なっていた。」と認定している。しかしながら、商品の発注、陳列、補充作業等の実行は、各担当パートが行うものであり、営業時間内に終了するものである。貴紀が営業時間終了後にこれら「商品の発注、陳列及び補充作業」を行なっていたという証拠は何も存在しない。被控訴人ら自身、貴紀が営業時間終了後に店舗内でどのような仕事をしていたのか貴紀からも聞いてすらいない。POPの作成についても、営業時間内に十分行うことができたものであるし、営業時間終了後については、ぜいぜい雑談をしながら行っていた程度であり、毎日のことではなかったのである。
2.証人Mの証言の偏重
(1)原判決は、22頁下から4頁以降で、貴紀が「営業時間終了後に被告が指定する重点医薬品及び化粧品等の勉強会に参加することもあった」と認定をしている。しかしながら、営業時間後に控訴人が主催する勉強会は行われていない。かような勉強会は、ブロック長、店長などが任意に開催することもあるが、任意の勉強会の対象単位はブロック毎であるところ、平成12年、13年当時、永覚店の属するブロックでは勉強会は行われていなかったのである。なお、メーカー側の行う勉強会があったが、これはあくまで営業時間内に行われていたのである。そもそも、原判決が控訴人らすらも主張していない「勉強会への参加」という事実を認定していること自体が不可解である。また、かような認定は、原判決が行なった貴紀の勤務時間の認定とも矛盾するものである。すなわち、原判決は、貴紀が出勤したと認定した日における永覚店のセコムの施錠時刻をもって貴紀の終業時刻であるというそれ自体明らかに不合理な認定を行なっているところ、この認定は貴紀が同人の出勤日にはセコムの施錠時刻まで永覚店内に居たということが前提となっており、店舗外の勉強会に参加したという認定とは明らかに矛盾するものである。
(2)原判決は、23頁3行目以降で、貴紀が「管理薬剤師となった平成12年10月16日以降、医薬品の使用上の注意に関する資料を作って、店内での勉強会を開催し」たと認定しているが、永覚店において店内の勉強会が行われた事実は全くない。貴紀が「勉強会」を開催したという事実も、被控訴人らは主張もしてないのであって、原判決は、かかる主張も証拠も無いまま誤った事実を認定するという過誤を犯したのである。
(3)しかして、上記(1)及び(2)記載の原判決の認定は、明らかに証人Mの証言に基づくものである(甲A第60号証9頁3行目以降、同10頁4行目以降)。証人Mの証言が不適格であり、本件において証拠として採用するに値しないことは、控訴人の原審における最終準備書面にて述べたとおりである(同準備書面18頁の第4)。証人Mは、貴紀が亡くなった1年以上後の平成14年11月に控訴人に入社し、1年半弱で退社した者であり、しかも同人が勤務していたのは、
O店という薬粧店のみである。すなわち、O店は、取扱商品が医薬品と化粧品だけであり、店舗面積もドラッグストアである永覚店の8分の1から10分の1程度(M調書1頁末尾より11行目)、従業員も証人Mのほか正規従業員1名とパートが2名という小規模な店舗であった(M調賞9頁末尾より3行目)。証人Mは、永覚店のような控訴人の大規模店に勤務したこともなく、応援に行ったこともない(M調書16頁10行目、16行目)。すなわち、証人Mは、貴紀が勤務していた当時の控訴人のドラッグストアでの薬剤師の勤務状況、店舗の運営方法などについては、全く知識のない人間であり、貴紀の勤務状況など知る由もないというだけでなく、証人Mが控訴人薬粧店勤務当時の経験に基づく知見は本件においては全く価値のないものである。加えて証人Mは、同人が店長を勤め赤字続きであった
O店の閉店に伴い転勤の内示を受けて控訴人を退社し、現在は控訴人と競合関係にある訴外Sに勤務している者である。従って、同証人は、控訴人に対して好意を持っていないだけでなく、むしろ敵対的な意識を有している者である。そのため、控訴人の原審最終準備書面にて指摘したとおり、事実関係の端々に歪曲が認められるのである。かように、証人Mの証言は、本件において、貴紀の正しい勤務状況を明らかにする上で、全く価値のないものであり、むしろ有害なものである。しかるに、原判決は証人Mの証言を安易に採用し、同人の証言に基づいて被控訴人らが主張していない事実までも認定しているのであり、極めて不当との叱責を免れないのである。
3.Tの聴取書等の偏重
(1)原判決は「貴紀は、大学時代からTと交際しており、本件当時は、結婚を前提とした交際をし、ほぼ毎日、どちらかの家で会っていた」と認定し(原判決19頁末尾より2行目)、重要な事実を認定する際の証拠としてTの聴取書(甲A第32号証・以下、T聴取書という)や陳述書(甲A第33号証・以下、T陳述書という)を挙げている(原判決33頁士行日、同36頁7行目)。T聴取書やT陳述書の正確性が疑わしいことについても、控訴人の原審における準備書面14にて述べたところである(同準備書面19頁10行目以降)。
(2)特に、控訴人は、T聴取書及びT陳述書の内容のうち、次の点は客観的な事実と矛盾があると指摘したにもかかわらず、原判決はこの点に全く答えていない。すなわち、T聴取書では、貴紀が帰るのが遅いときでも、せいぜい「午前O時を過ぎて」と記載されている。しかし、平成13年4月度、5月度のセコムの施錠時間(乙第13号証の10、11)を見てみると、同年3月19日が翌日の3時14分、3月23日が翌日の1時46分、3月26日が翌日の3時27分、4月1日が翌日の1時52分、4月16日が翌日の1時7分、4月30日が翌日の2時48分となっている。これらの日はいずれも貴紀とKが永覚店に出勤しており、店長Eは休みを取っている。これはKが、店長代行として永覚店に残って仕事をするとともに、一人で残って食事を取ったり、仮眠を取ったりしており、極端に退店時間が遅くなったときである(乙第34号証)。貴紀の自宅(名古屋市緑区)及び同人が頻繁に通っていたTの自宅(豊明市)はいずれも、永覚店からは車で1時間程度の距離にある。もし、仮に、貴紀がこのKの(永覚店に遅くまで居残る)行動に付き合っていたとすれば、貴紀の帰宅時間は「午前0時過ぎ」どころではなく、午前3時や明け方近くになってしまったはずである。貴紀がこのような極端に遅い時間に帰宅したことがあれば、当然、その旨をエピソードとしてTより供述がなされたはずである。しかるに、Tの聴取書には、このような極端に遅い帰宅時間に関する供述は全く出てきていないのである。すなわち、貴紀がKが退店するまで付き合って店内に残っていたなどという事実はないこと火を見るより明らかである。
第4.貴紀の業務と死亡との間の相当因果関係の不存在
1.原判決の認定の誤り
(1)原判決は、貴紀の従事した業務は、労働時間に照らして著しく過重で、心臓突然死を含む心停止発症の原因となるものであったという。時間外労働時間に関する原判決の認定には、本控訴理由書第2「貴紀の真の労働時間」で具体的に指摘したとおり、明らかな事実誤認が多々あり、心臓突然死を含む心停止発症の原因となりうる「過重労働」の事実はなかった。
(2)原判決は、貴紀の業務の内容につき、心身の負担となるもので、疲労を蓄積させるようなものであったというが、この認定も誤りである。
イ.原判決は、貴紀が、平成12年10月16日以降、休みが取りづらく、通し勤務や残業が多くなっていたと認定するが、かかる状況になかったことは、原審における控訴人最終準備書面にて詳細に述べたとおりである。
ロ.原判決は、貴紀が医薬品に関する接客業務において副作用や禁忌などに配慮するなどの慎重な対応が求められたというが、当時のドラッグストアにおける薬剤師の業務内容の捉え方を誤っている。ドラッグストアにおける薬剤師の医薬品の接客業務の業務内容は、大まかに調剤業務と医薬品販売業務とに二分され、薬剤師の対応内容は大きく異なる。調剤業務は、医療機関が発行した処方箋に従い医薬品を調剤する業務であるが、ほぼ全例につき、処方箋の記載に従い誤りなく調剤するだけでなく、調剤された医薬品の作用・副作用の説明、禁忌に該当しないかのチェック、更には、処方箋の記載内容(薬品名や分量など)に誤りがないか否かのダブルチェック、等が求められる。これに対し、製薬会社が商品として市販している医薬品の販売業務は、上述のような調剤作業を必要としないし、購入する客が副作用や禁忌などにつき薬剤師のアドバイスを求める機会も少ない。これはドラッグストアで市販医薬品を購入する場面を想定すれば、容易に理解できることである。原判決は、調剤業務と医薬品販売業務とでの負担の違いを全く考直していない。本件当時、永覚店は調剤業務を行っていなかった。貴紀の薬剤師としての業務は、医薬品販売業務だけであり、調剤業務と異なり、副作用や架忌などに配盧するといった慎重な対応が常に求められたわけではない。
ハ.原判決は、貴紀が、接客の合間をぬって、POPの制作・商品の補充、重い商品の運搬、店舗を走り回ったりしていたとし、業務内容が一定の身体的負荷を及ぼすものであったという。しかし、これも誤った認定である。接客とはいっても、イに述べたとおり、薬剤師としての接客業務の機会は多くはない。本控訴理由書第3.1に述ベたとおり、POPの制作や商品補充、商品運搬等の業務は、担当パートが行う業務を手伝っていたに過ぎず、到底、身体的負荷を及ぼすような業務ではない。
二.このように、貴紀の業務は、質的にみて心身の負担となるものでは全く無く、疲労を蓄積させるものでもなかった。
(3)原判決は、貴紀に、入社後に疲労状態となったことや、何らかの死に至る原因疾患があったとはうかがえないことをもって、致死性不整脈により心停止に至った可能性が高いという。これも、以下指摘するとおり、事実誤認であり、そればかりでなく原判決の認定自体が論理矛盾を来たしている。
イ.原判決は、平成12年10月中旬以降、貴紀が体調不良の状態になり、5月中旬以降に甚だしい疲労状態となったというが、いずれも事実誤認である。原判決は、永覚店の店長代行がKに代わった後、体重が急激に減り始め、平成12年12月ころには、吹き出物が出始めそれが治らない状態が続いたという。
しかしながら、まず、Kが店長代行となったゆえに、Kの仕事につきあって帰宅時間が遅くなった事実はない。平日に休みを取得できなくなったというが、一般的に労働者の大半は週末に休みを取っているのであり、平日に休みを取得しないことは体調不良に結びっかない。全体の5分の3が通し勤務になったという原判決の認定についても、勤務表上、そのような事実は認められない。勤務表の信用性が高いことは、本控訴理由書第2に主張したとおりである。体重の減少は、当時、貴紀と一緒に永覚店に勤務していた正社員とパート従業員、アルバイトらが口を揃えて述べているとおり、社会人になったための自然な体重減少であって、不健康なやせ方ではなく、体調不良とは全く結びつかない(乙第14、17、18、19、24(Km陳述書12頁ロ)、26号証)。吹き出物ができていたという点は、T聴取書とT陳述書によるものと思われるが、T聴取書と陳述書の正確性に疑問があることは、本控訴理由書第3.3で指摘したところである。実際、当時永覚店に一緒に勤務していた従業員やアルバイトからかかる指摘はなく、吹き出物が実際に生じ。ていたかは甚だ疑間である。仮に吹き出物が生じていたとしても、それ自体が病気等による体調不良を裏付ける事情とはならない。原判決は、平成12年12月から平成13年1月ころにかけて、よく風邪をひいたが仕事を満足に休むこともできずに風邪をこじらせていたと認定した。確かに、貴紀は、平成13年1月初めころに風邪を引き、治りが悪かったということがあったが、当時―緒に勤務していた従業員らの陳述によれば、当時、風邪を引いたのはその一度のみであり、前年12月ころから何度も風邪を引いたという事実はない。T聴取書とT陳述書には原判決認定のような記載もあるが、誇張した記載と言う他はない。原判決は、立ちくらみがするようになり、帰宅後も風呂で座り込んで、なかなか上がれないことがあったと認定する。この認定も、T聴取書やT陳述書によるものと思われる。仮に貴紀が勤務中に立ちくらみを起こすほど健康状態が悪ければ、店長を始め、同じ店舗で稼動している者に知れるはずであるが、これに気づいたという者は全くいない。貴紀は元気そうだったという印象を持っていた者が殆どなのである(乙第14、16、17、19、26号証)。平成13年当時、貴紀の健康状態にあたかも重大な問題があったかのような原判決の認定は、明らかな事実誤認である。
ロ.原判決は、死亡前日、特段変わった様子もなく、焼肉をよく食べていたこと、帰宅後はTと出かけ、ケーキを食べ、飲酒もして就寝し、就寝時刻も午前2時ころであったという。しかし、仮に原判決が認定したような、突然の致死性不整脈を来たすほどの「甚だしい疲労状態」にあったならば、通常業務終了後の疲労した状態で焼肉を沢山食べることはできないであろうし、帰宅後は一刻も早く就寝したいであろうから、帰宅後に出かけたりすることもないであろう。更に、帰宅後にケーキを食べたり、飲酒し(貴紀には飲酒の習慣はない)、午前2時ころまで起きていられる元気などないはずである。Tの陳述書に記載された、疲れ切った様子や帰ってくるとすぐ寝てしまう、食事や入俗もやっと、という状態とはかけ離れており、仮に貴紀がそのような状態であったのならば、Tも、帰宅後に一緒に出かけたり、ケーキを食べたりはしなかったであろう。この日の貴紀の行動は、同人が「甚だしい疲労状態」にはなかったことを示しているのである。このように原判決の認定は、明らかに経験則に反する。そればかりでなく、「甚だしい疲労状態」にないことを示す事象を挙げながら、疲労状態にあったというのは、明らかな論理矛盾を来たしている。
ハ.原判決は、貴紀に何らかの死に至る原因疾患があったとはうかがえないことを、致死性不整脈により瞬間的に重い意識障害に至った可能性が高いとする理由に挙げる。しかし、「何らかの死に至る原因疾患がなかった」ことは、「その原因疾患による死亡ではなかった」ことを意味するに過ぎず、貴紀の死亡原因が致死性不整脈であると特定する根拠とはならない。本件では、解剖が実施されていないから、貴紀の死因を鑑別・特定することはできず、畢竟、死因可能性の探索にならざるを得ない。致死性不整脈による心停止であっても、何らかの心停止の原因となる基礎疾患(冠勣脈疾患等)が存在するが(甲A第53号証76〜79頁)、貴紀は、その健康診断の結果を見ても、心電図所見は正常で、血圧等も問題なく、かかる基礎疾患の存在を伺わせるデータは全くない(甲第B27、B28、B29号証)。特発性不整脈の発症を裏付ける心疾患がないにもかかわらず、特発性不整脈が突然に発症したとするのは、医学的に根拠ある常識的な判断とは到底言えない。死因をそれと特定することは不可能であるし、非常識でもある。甲第B29号証ですら、他の死因を裏付ける事情がないことから、消去法によって特発性心室細動が可能性ある疾患と挙げているに過ぎない上、具体的根拠をもって特発性心室細動の発生を裏付けることは全くできていない。本件で、貴紀に「死に至る原因疾患がなかった」ことは、致死性不整脈を発生さぜる原因疾患もなかったことを意味しているのである。
(4)かように、労働状況においても、原因疾患としても、致死性不整脈の発生を裏付ける理由がないにもかかわらず、死亡原因を致死性不整脈の発症による心停止と特定して推認する原判決の認定は、明らかに誤っている。
2.気道閉塞による窒息死の可能性
(1)原判決は、貴紀の死因を致死性不整脈の発症による心停止と推認した上で、控訴人が主張した気道閉塞による窒息死の可能性を裏付ける種々の事情につき、「致死性不整脈による心停止であっても説明ができる」という理由をもって排除するが、これは偏頗的な認定といわざるを得ない。上述のとおり、本件では解剖が実施されていないのであるから、貴紀の死因を鑑別・特定することはできず、畢竟 死因可能性の探索にならざるを得ない。裁判所としては、貴紀の死因を致死性不整脈の発症による心停止と特定することはできないのであるから、他の死因の可能性を並列的に十分検討する必要があるにもかかわらず、原判決では、これをせず、致死性不整脈による心停止と矛盾しないかどうかという視点に重点を置いて検討している。この原判決の姿勢は不適切であることを指摘しておく。
(2)嚥下反射と咳反射の低下
イ.アルコール摂取が人の嚥下反射を低下させることは医学的知見として明らかである。乙36の資料1では、若い人でもアルコール摂取中に誤嚥を起こしうることを指摘し、ステーキの誤嚥は結婚式の参列者に多く発生することは、アルコールの嚥下反射抑制を如実に表していると述べている(同資判・603頁)。“結婚式の参列者”で急性アルコール中毒に至るほど飲酒する者はいないはずであり、この例は急性アルコール中毒に至らない程度の飲酒でも嚥下反射が低下することを示している。他方、貴紀は、被控訴人らによれば、「嘔吐が以前より時々あり、もともと胃が悪かった」のであり(甲B第1号証7枚目)、焼肉摂取・ケーキ摂取の後、アルコール摂取が加わって嘔吐反射が増強していた。
ロ.酪酎の程度と血中アルコール濃度との相関には個人差が大きく、画一的なものではない。血中アルコール濃度と酪酎状態の関係として示される資料は、所謂アルコールに弱い者には該当しない。原判決は、貴紀の死亡前の飲酒量から咳反射等を消失させるような意識障害が起きることはないというが、貴紀は、日頃アルコールを嗜んでおらず、被控訴人らも、「うちの家族は皆飲まないというより飲めないので、息子も飲みません」(甲A第5号証3丁目)と明確に述べているし、T聴取書・同陳述書ですらグラス一杯のワインも飲めない程度であったとあり(甲A第32、33号証)、責紀が、所謂、酒に弱い体質であったことは明らかである。この場合、一般的に血中アルコール濃度と酩酊状態の関係として示される資料の数値は該当しない。これを該当させようとすると真実を見誤るであろう。「酎ハイ1杯程度」という原判決の記載は、既にその過ちを犯しているといえる。貴紀の血中アルコール濃度の理論的最高値は0.5
2 4 mg/ml
にとどまるという原判決の認定は、根拠には乏しいが、仮に、当該資料の数値に至らない程度の血中アルコール濃度であっても、貴紀の揚合は、酷酎状態に陥り、急性アルコール中毒に至っていた可能性が十分に考えられるのである。
ハ.仮に急性アルコール中毒に至っていなかったとしても、イで述べたとおり急性アルコール中毒に至らない程度の飲酒でも嚥下反射は低下しうるのであるから、本件で嚥下反射と咳反射が低下したと推測するには何の問題もない。原判決は、あたかも、高度の意識障害の状態に陥らなければ嚥下反射と咳反射は低下しないかのように述べるが、誤りである。
(3)血液検査の数値
イ.貴紀が藤田保健衛生大学病院に搬送された後の血液検査のデータで、AST、ALT、カリウムが異常高値であったことは、気道閉塞による窒息の可能性が高いことを示している。
ロ.カリウム値は、細胞が破壊されるときに細胞外にカリウムが移動することで高値となる。本件で、カリウム高値となりうる細胞破壊の原因としては、窒息によるアシドーシス、或いは、死後の溶血が考えられる。ただし、本件では、溶血の程度は「弱溶血」とされており、溶血で22.9
mEqμ/lという異常高値を説明することには無理がある。気温等を考盧したとしても同様である。このカリウムの値から窒息によるアシドーシスを否定することはできず、医学的に明らかな誤りである。原判決も、数値から窒息によるアシドーシスという原因を直接否定することはできず、死後溶血によるとして合理的な説明が可能と述べるにとどまる。この原判決の認定方法は、他の死因の可能性を並列的に十分検討することなく、致死性不整脈による心停止と矛盾しないかどうかという視点に重点を置いて述べるもので、不適切であることは前述したとおりである。
ハ.AST、ALT値の異常高値も、窒息による酸素欠乏状態が維続していることを示唆しており、気道閉塞による窒息を否定することはできないし、これを否定するのは医学的に明らかな誤りである。死戦期や、或いは溶血によっても検査数値は上がるが、それだけで、これらの異常高値を説明するには無理がある。特に、突発的な致死性不整脈による心停止であれば、死戦期は非常に短時間ですぐに心腺が停止してしまうのであるから、AST、ALTが血中に逸脱する量も多くはなく、本件の如き異常高値とはならないのである。これらの検査数値に至っては、原判決は、非常に簡略に、死戦期、死後の細胞からの逸脱によっても説明可能だと述べることしかできておらず、その根拠に乏しいことは明らかである。ここでも、原判決の認定方法は、致死性不整脈による心停止と矛盾しないかどうかという視点に重点を置いて述べるもので、不適切である。
二.原判決は、窒息状態が継続している間に交際相手が気づかないとは考えがたいという。しかし、そもそも交際相手の証人尋問は実施されておらず、同人の陳述書等の信用性は担保されていない。仮に、この点に関する交際相手の陳述書等の記載を前提としたとしても、貴紀の死亡時刻は深夜と推定されるから、就寝している交際相手が貴紀の様子に気づかなかったとしても不思議はなく、原判決の推論には根拠がない。
(4)胸部レントゲン所見
イ.気胸と皮下気腫
胸部レントゲン上、気胸と皮下気腫が語められることは原判決も否定していない。この気胸は、窒息による呼吸不全が原因となって発生した可能性が高い。すなわち、気胸は肺胞が破れる等の原因によって発生する。本件では、誤嚥によって上気道が閉塞すると、呼吸ができずに苦しいため、無理に呼吸をしようとして過度の呼吸運動がなされる。しかし、上気道は閉塞したままであるから、胸腔内は陰圧になり、その結果、肺胞の内圧が上昇し、肺胞が破れて気胸が発生するのである(乙第44号証)。原判決は気胸が発生した理由が述べられていないというが、気胸を発生させた理由は上述のとおりで、原審の控訴人の準備書面と書証(乙第36、44号証)で十分に説明をしている。心臓マッサージによる胸郭圧迫が気胸の原因となる場合もあるが、肺胞が破れるほどの強さで心臓マッサージが行われると、同時に肋骨骨折を起こす可能性が高い。本件では、レントゲン上、肋骨骨折は認められず、胸郭圧迫による気胸は否定される。この点も、原審での控訴人の準備書面と書証(乙第36、44号証)で十分に説明を加えている。皮下気腫の存在は、貴紀に気胸が発生していたことを裏付ける所見であり、その存在は、気胸の発生と相まって、気道閉塞による窒息を示唆している。原判決は、これらの主張・立証をいずれも正確に把握できないままに排斥しており、気胸について理解が全く不足しているといわざるを得ない。
ロ.気道支内の異物
貴紀の胸部レントゲン上、気管支に複数の異物の像が容易に認められる。これらは吸引した嘔吐物以外には考えられない。嘔吐物が気管支の奥まで吸引され、嘔吐物を窒息状態での呼吸状態で吸入したのである。原判決は血管の可能性もあるという。これは、被控訴人が提出した山本哲一医師の鑑定書にその可能性が示唆されていたことをそのまま引用したと思われる。しかし、貴紀の胸部レントゲン上、異物像は明確であり、血管の像とは読影できない。
3 以上述べたとおり、貴紀の死因を致死性不整脈による心停止とする原判決の認定には根拠がなく誤りである。死因は気道閉塞による窒息死である可能性が高く、この可能性を排除することは到底できない。死因を致死性不整脈による心停止と特定することは不可能であり、貴紀の業務と死亡との間に相当因果関係は認められない。
第5 結語
以上述べたところより、原判決の労働時間や労働状況、身体状況、死亡との相当因果関係に関する原判決の認定は事実誤認であり、誤った事実の認定を前提とした控訴人の安全配慮義務違反の判断も失当であること明らかである。原判決は取消を免れない。
以上
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