スギヤマ薬品の薬剤師

 杉山貴紀は何故過労死
したのか?

 

 

第1審判決文(名古屋地方裁判所の判断)

 

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○平成19年10月5日に名古屋地方裁判所1103法廷にて言渡された

 判決文(裁判所の判断)を公開します。

 

※一部伏字等になっております。ご了承下さい。


 

主 文

1 被告は、原告正章に対し、 万 円及びこれに対する平成17年2月19日から支払済み

  まで年5分の割合による金員を支払え。

 

2 被告は、原告ふじ江に対し、 万 円及びこれに対する平成17年2月19日から支払済

  みまで年5分の割合による金員を支払え。

 

3 原告らのその余の主位的請求をいずれも棄却する。

 

4 訴訟費用は、これを2分し、その1を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

 

5 この判決は、第1項及び第2項に限り、仮に執行することができる。

 

 

当裁判所の判断


1 認定事実


 前記争いのない事実等に,証拠(甲A3〜6,8,10〜15(枝番含む。),16〜19(一部),21, 23〜26,32〜34,58,60〜62,乙14〜26(一部),27〜29(枝番含む。),35(一部),証人E(一部),証人K(一部),証人Km(一部),証人M(以下「証人M」という。),原告正章本人,原告ふじ江本人)及び後掲各証拠並びに弁論の全趣旨を併せれば,以下の事実が認められ,これに反する証拠(乙14〜16(一部),42等,上記証拠に対する弾劾証拠を含む。)は採用できないか,または,同認定を左右するものではない。


(1)貴紀の性格,被告入社までの経歴等
 貴紀は,責任感が人一倍強い性格であったほか,神経質で完ぺき主義な面もあった。
 貴紀は,中学時代は柔道部に所属し,高校時代と大学時代にはバスケットボール部に所属し,スポーツによく親しみ健康的であった。
 貴紀は,小学生のころから,「お父さんのような仕事をしたい,そして病気の人たちの相談者となり肋けてあげたい。」と原告正章にあこがれて薬剤師を目指していた。
 なお,貴紀は,大学時代からTと交際しており,本件当時は,結婚を前提とした交際をし,ほぼ毎日,どちらかの家で会っていた。


(2) 貴紀の健康状態等(甲B26〜28)
 貴紀には,心臓疾患に関連する既往歴はなく,平成13年2月21日の健康診断では,心電図は正常範囲であり,エックス線写真上に心肥大などの異常も認められず,心雑音が確認され,また,動脈硬化指数がわずかに高かったものの,これらの点を含め特段の異常は認められなかった。
 貴紀は,被告入社時に,約70kgあった体重が,平成12年10月ころから急激に減り始め,平成13年2月には,59kgとなり,その後も同程度の体重であった。
 貴紀は,酒をあまり飲むことができなかったが,付き合いでワイン等をグ
 ラス一杯には満たない程度で飲んだりしていた。


(3) 永覚店の人員体制等(甲A40,乙30)
ア 貴紀が永覚店で勤務することとなった平成12年5月16日当時,永覚店には,管理薬剤師のIが配置されていたほか,その他の薬剤師として,Oの届出がされていたが,同人は,永覚店の勤務シフトに組み込まれておらず,貴紀が薬剤師免許を取得した後の同年7月31日,Oに代わって,貴紀を永覚店のその他の薬剤師とする届出がされた。
 Iが平成12年10月16日他店に異動となった後は,貴紀が永覚店の管理薬剤師となった。なお,このころ,永覚店のその他の薬剤師として,Kaの届出がされていたが,同人は,永覚店の勤務シフトに組み込れていなかった。
 Kmは,平成13年6月7目以降,管理薬剤師として永覚店に勤務した。
 貴紀が永覚店に勤務していた期間中,永覚店には,20人前後のパートやアルバイトが勤務し,そのほとんどは女性であった。


イ 被告及び株式会社ドラッグスギヤマ三河は,その経営する店舗を一定の地域ごとにブロックと呼ばれる単位にまとめて統括していた。永覚店は,組織再編後,4店舗で構成されるブロックに入ることになった。そして,各ブロックには,ブロック長と呼ばれる者がおり,かかるブロック長を通じて,被告の経営方針に関する指導・監督等が行われていたものであるが,永覚店を統括するブロック長は,平成11年2月から,Ksが務めていた。なお,上記組織再編後も,Ks,E,Kは,被告の正社員であった。


(4) 永覚店の営業日等について
 永覚店は,貴紀が勤務していた当時,毎年1月,2月及び8月の各1日を除き,毎日営業していた。
 また,永覚店では,午前9時50分から,朝礼が行われており,貴紀も,早番と通し勤務の際には,朝礼に参加していた。


(5) 勤怠管理等
  貴紀が勤務していた当時,永覚店に勤務する被告正社員の出退勤管理に用いられていた勤務表の裏面には,従業員は,出勤した日ごとに,自らの印を勤務表に押印し,店長は,時間外勤務,休日勤務,欠勤,休暇などの事由が発生した時点でこれらの事由を勤務表に記載すべきであり,後日まとめて処理することはよくない旨,勤務表の表面には「毎日記録」,「毎日点検」と記載されていた(乙2の1〜15)。しかしながら,Eは,1週間分ないし1か月分をまとめて記載することが多かった。


(6) 貴紀の勤務状況等
ア 貴紀は,名古屋市緑区の自宅から愛知県豊田市宝町所在の永覚店まで,自家用車で通勤しており,その所要時間は,約1時間弱であった。


イ 貴紀は,前向きに勤務に取り組み,どのようにすれば永覚店の売上げが上がるかを常に考え,時には,会社経営者でもある原告正章の助言・指導を仰ぐこともあった(甲A42の1の2,42の2の2)。貴紀は,勤務ローテーション表において休みとされている日に,近隣の美里店などの被告が経営する他店舗に赴いて写真を撮るなどして,商品の展示方法などを研究し,永覚店での業務に役立てようとしていた(甲A47)。
 貴紀の仕事に対する積極的な姿勢は,店長であるEをはじめ,永覚店従業員の皆が認めるところであった。


ウ 貴紀は,平成12年8月末以降,医薬品,健康食品及び医療雑品の商品管理並びに接客の責任者として稼働していた。商品の管理としては,商品の発注,毎週水曜日と金曜日に納品される商品の荷受け,在庫の管理,品出し,前出し等の業務があり,その中には段ボールに入った20Kgほどの重さがある商品の運搬等の肉体労働もあった。
 貴紀は,永覚店の営業時間中は,主に,医薬品に関する客の相談に乗るなどの接客業務に従事し,接客業務の合間を縫って,POPの作成をしたり,パートやアルバイトがレジ業務に従事しているときなどには,商品の補充をしたり,問屋から送られてくる商品の納品荷受作業などに従事し,また,レジに並ぶ客が多くなった際には,レジ業務を行うこともあった。
 このほか,売れ筋商品の判断をして,商品発注の指示をパートに出したり,ハンディー夕−ミナルと呼ばれる機械を用いて,自ら商品の発注作業をすることもあった。そして,貴紀は,接客のための呼出しに迅速に対応したり,上記業務を効率よくこなすために,しばしば,店舗内を走ることがあった。
 また,永覚店では,月の初め・中間の各特売,0のつく日の2倍スタンプデー,19日・20日の抽選会などのセールが毎月のように企画され,その実施中は,貴紀の業務量も増大した。
 貴紀は,営業時間終了後も,POP制作などの販売促進のための作業を行ったり,商品の発注,陳列,補充作業等を行っていた。また,営業時間終了後に被告が指定する重点医薬品及び化粧品等の勉強会に参加することもあった。
 貴紀は,1時間の昼の休憩等を規則正しくとることはできず,接客等の必要から,休憩中に呼出しを受けたり,昼食を食べてすぐに特ち場に戻ることがあった。


エ 貴紀は,永覚店の管理薬剤師となった平成12年10月16日以降,医薬品の使用上の注意に関する資料を作って,店内での勉強会を開催し,また,毒物及び劇物の管理業務として,店舗備付けの毒物・劇物管理台帳に,所定事項の記入を受け,これを店舗で保管しなければならなかった。
 貴紀は,医薬品に関する客の相談に乗るなどの接客業務においては,服用方法,副作用,禁忌及び医薬品の併用に関する質問や,妊婦,高齢者,小児及び乳幼児の医薬品の服用に関する質問に対し,医薬品の有効性,安全性及び品質に関する専門的知識や情報を生かして,慎重に対応しなければならなかった。


オ 貴紀は,永覚店の店長代行がIからKに代わったころから,平日に休みを取得できなくなり,また,おおむね全体の5分の3が通し勤務となった。さらに,Kは営業時間終了後も残って仕事をすることが多かったため,貴紀もこれに付き合う形で,POP制作等の作業をするなどして残業を行い,帰宅時間が遅くなった。貴紀は,このころから,体重が急激に減り始め,平成12年12月ころには,顔や首などに吹き出物が出始め,それが治らない状態が続いた。
 貴紀は,平成12年12月から平成13年1月ころにかけて,よくかぜをひいたが,仕事を満足に休むこともできずにかぜをこじらせていた。また,貴紀は,このころから,立ちくらみがするようになり,帰宅後も,風呂で座り込んで,なかなか風呂から上がれないことがあり,このような状態が平成13年4月ころまで続いていた。


カ 貴紀の死亡前1か月間である平成13年5月8日から6月6日までの勤務状況は次のとおりであった。
 平成13年5月8目から同月13日まで,永覚店では,特売が実施され,同月10日には,スタンプ2倍セールの実施が重なったこともあって,のべ812人もの客が来店するなどし,多忙であった。
 平成13年5月17日から同月20日まで,A店の開店協賛セールが永覚店で実施されたが,貴紀は,上記セールの開始前日である同月16日,同日の勤務を午後11時40分に終えた後,E及びKと近隣のホテルに宿泊してセール開始に備え,翌17日は,同人らとともに,午前7時36分に出社し,商品を店頭に並べる作業などをした。翌18日からは,皆,自宅から出勤したが,出勤時刻は,日替わり商品の品出しをするために,遅くとも,午前8時30分に勤務を開始した。上記セールの期開中,永覚店では,他店の従業員の応援を得るなどしたものの,開店前から客が長蛇の列を作ったり,余りの客数のために店内の買物かごが不足するような状況で,平常時の5倍程度の販売商品数と売上金を達成するなどし,貴紀を含む永覚店従業員は,接客業務や商品の補充作業などに追われ,多忙を極めた(乙12の1〜326)。
 貴紀は,平成13年5月中旬ころから,帰宅するとTの前で疲れ切った様子を見せており,帰ってくるとすぐに寝てしまったり,食事をすることや入浴することもやっとという状態になったり,翌朝になかなか起きないということがあった。そして,貴紀は,Tに対し,このころ,帰宅後に体重計に乗っては,「このまま行くと本当に死ぬかもしれない。」と頻繁に言っていた。
 そして,同月21日に店長代行のKが他店に異動したため,貴紀がその地位に就き,その業務の多くを担当することになったが,Kから同業務の処理にかかる事前の引継ぎがなかったため,異動先へ電話して尋ねな
ければならなかった。他方,Kmは,いまだ経験不足で種々の指導をする必要があった。このようなこともあって,貴紀は,同月下旬以降も引き続き多忙な勤務が続いた。


(7) 貴紀の死亡前後の状況(甲B1,11の1・2,12,23,24の1・2,乙1)
ア 貴紀は,その死亡前日である平成13年6月6日午後9時35分に永覚店を出て,E,Kmとともに,焼き肉を食べに行った。貴紀は,特段変わった様子もなく,焼き肉をよく食べた。なお,各自が車を運転してきたこともあり,焼き肉を食べる際に飲酒をした者はいなかった。
 E,貴紀及びKmの3人は,午後11時過ぎに焼肉店を出て,貴紀は,愛知県豊明市新栄町所在のTのアパートを訪ねた。その後,貴紀は,Tとともに近所のコンビニエンスストアでケーキを買って食べ,また,酎ハイを1杯飲み,同月7日午前2時ころ,「疲れた。」と言って,着替えることなく,そのままベッドに横になって寝た。
 Tは,その後,同日午前8時に目覚まし時計で起きたものの,貴紀が起きなかったため,その様子を見ると,貴紀は,高さ20cmくらいのベッドから落ち,うつ伏せの状態で,既に息をしていなかった。Tは,午前8時8分に119番通報をし,救急隊は,同15分に到着したが,その時点で,貴紀は,心肺停止,瞳孔散大・対光反応なしの状態であった。救急隊員は,貴紀が呼吸をしていなかったために,呼吸確保のために口から気道に管を挿入しようとしたが,口腔内に多量の吐しゃ物があり,管が入らなかったため,吸引機によるバキュウムを行った。貴紀を乗せた救急車は,同日午前8時37分に藤田保健衛生大学病院に到着したが,その際,心肺停止のほか,左腕や両下肢が硬直するなどの死後硬直が認められた。同病院の担当医は,貴紀の気道内に異物が認められたため,気道閉塞が考えられ,他の突然死を来す疾患の想起が困難であったため,死亡診断書に,心肺停止の原因として気道閉塞,その原因として誤えん疑いと記載した。また,上記病院への搬送後に貴紀から採取された血液の検査が実施され,8時43分という時刻が記載された検査報告書には,ASTが3583IU/l (基準範囲10〜4 0IU/l),ALTが5192IU/l(基準範囲5〜40IU/l),カリウムが22.9 mEq/l(基準範囲3.7〜4.7mEq/1),エタノールが0.1MG/ML未満と記載されており,分析日時を同日午前9時30分とし,上記検査とは書式の異なる検査報告書には,カリウムが12.22mmol/lと記載されていた(mEq/lとmmol/lは,単位としては同義に解してよい。)。なお,8時43分という時刻が記載された検査報告書の最下欄には,「弱溶血」との記載がされていた。


イ 貴紀が死亡した時刻については,上記病院搬送時点において死後硬直が認められていることに照らし,平成13年6月7日午前2時ころから午前5時ころの間と推定される(甲B29)。


ウ 平成13年6月7日午前2時から午前8時までのT方のあった豊明市付近の気温は約20℃であった(甲B33)。


(8) 貴紀の遺品(甲C3〜8)
 EとKmは,貴紀の死後,貴紀が使用していたロッカーの整理を行い,その際,貴紀が使用していたロッカーから,被告から支給されていた白衣と制服,貴紀の私物である下着,筆記具及びたばこが見つかった。EとKmは,それらを各辺約30cmの段ボール箱に詰め,その際,Eは,貴紀の葬儀が終わった後に,原告らの元に上記段ボール箱を持っていくと言っていた。
 原告らは,平成14年7月23日には口頭で,同年9月5日には書面で,貴紀の遺品の返還を求めたが,同月9日,被告代理人から貴紀の遺品は返還済みである旨の回答がされた。
 原告らは,平成14年9月19日,遺品の返還を受けた事実はないとして,貴紀が薬学部在学中に使用していた教科書等の返還を求めたところ,被告は,再調査の結果,貴紀の所有物であった教科書等5冊が永覚店に存在することが明らかとなったとして,原告らにこれらを返還した。その後,原告らは,同月30日付けの書面で,貴紀が使用していた研究資料やメモ帳,上記ロッ力ー内の私物の返還を求め,同年11月7日には,書籍名等を特定して,貴紀が所持していた可能性が高い書籍3冊の返還を求めたものの,被告から原告らを納得させるまでの説明はなく,結局のところ,原告らが,上記段ボール箱に納められた貴紀の遺品や上記書籍等を受け取ることはなかった。


(9) 医学的知見等
ア 業務の過重性と虚血性心疾患等の発症(甲A53)

(ア)心停止は,心拍出が無になり循環が停止した状態を指し,虚血性心疾患等を基礎疾患として発症することが多いが,基礎疾患が不明又は認められないものもある。心臓突然死とは,心停止が予兆なく発症し,比較的短時間で死亡したものであり,心停止の成因のうち最も心臓突然死の危険が高いのは,心室が不規則で無秩序な電気的興奮を示す心室細動である。なお,この場合,不整脈により心拍出量が途絶ないし減少するため脳虚血症状(失神・めまい)を来す。心室細動発生の機序は,その回路となる電気的基質,引き金となる心室期外収縮,これらを修飾する因子の3つの要因からなる。このうちの大きな修飾因子として自律神経があり,その機能低下は,致死性不整脈の発生と密接に関連する。また,ストレスも修飾因子であり,ストレスを引き起こすストレッサー(仕事による過度の身体的,精神的負荷等)は,中枢神経,自律神経,内分泌系の変調を起こし,その総合効果が循環器系に影響を及ぼす。


(イ)一般的な日常の業務等により生じるストレス反応は一時的なもので,休憩・休息・睡眠,その他の適切な対処により,生体は元に復し得るものである。しかし,恒常的な長時間労働等,負荷が長期間にわたって作用した場合には,ストレス反応は持続し,かつ,過大となり,ついには回復し難いものとなる。これを一般に疲労の蓄積といい,これによって,生体機能は低下し,血管病変等が増悪することがあると考えられている。
 このように疲労の蓄積にとって最も重要な要因である労働時間に着目すると,発症前1か月間に,1日5時間程度の時間外労働が継続し,発症前1か月間におおむね100時間を超える時間外労働が認められる場合には,特に著しい長時間労働に継続的に従事したものとして,業務と心室細動などの致死性不整脈を成因とする心臓突然死を含む心停止発症との関連性は強いと判断される。なお,休日労働は,その頻度が高ければ高いほど業務との関連をより強めるものであり,逆に休日が十分に確保されている場合は,疲労は回復ないし回復傾向を示すものである。


イ 血液検査で問題となった項目
(ア) カリウム(乙36添付資料5番)
 カリウムは,細胞内液の主要な陽イオンであり,神経伝達や電解質輸送などに関係する細胞膜の電位形成を行っている。組胞内のカリウムは,総量で3000mEqあるが,細胞外のカリウムは60mEqしかない。
 血清カリウムが5mEq/l以上ある状態を高カリウム血症といい,7mEq/l以上の場合は,それだけで心停止の原因となりうる。
 高カリウム血症の原因としては,カリウムの過剰投与,腎からの排せつ低下,細胞内から細胞外へのカリウムの移動(再分布異常)の3つが考えられる。そして,細胞内から細胞外へのカリウムの移動によるものとしては,アシドーシス(特に代謝性のもの。),インスリン欠乏と高血塘(糖尿病性ケトアシドーシス,非ケトン性高浸透圧症候群),組織崩壊(横紋筋融解症,組織挫傷,溶血(溶血とは,通常,赤血球の崩壊をいう。乙37),悪性腫瘍に対する化学療法),家族性高カリウム血性周期性四肢麻痺,薬物(サクシニルコリン,ジギタリス,アルギニン,リシン)が挙げられる。なお,20℃前後の気温の下で,3から6時間が経過すると,死後溶血により,血清カリウムは20mEq/l前後となることがある(甲B32の1)。


(イ)ALT(甲B32の1添付資料6,乙36添付資料5番)
 ALTは,肝臓を中心として,ほぼ全身の細胞に分布する。血清ALTの高値は,細胞から炎症,壊死,損傷などによる血中への逸脱の存在を示す。正常値は,5から35IU/lである。


(ウ)AST(甲B32の1添付資料6番,乙36添付資料5番)
 ASTは,肝臓,心筋,骨格筋,赤血球に主に分布しているが,ほぼ全身の細胞に分布し,動物細胞では,細胞質とミトコンドリアに局在性を異にする2種のアイソザイムがある。血清ASTの高値は,細胞から炎症,壊死,損傷などによる血中への逸脱の存在を示す。臨床的には,肝,心臓,筋以外の疾患で高値を示すことは少なく,主として,肝炎,心筋梗塞,筋ジストロフィーの経過観察に用いられる。正常値は,10から40IU/lである。


ウ アシドーシス(乙37)
 正常人の動脈血の水素イオン指数は,7.36から7.44の弱アルカリ性の狭い領域に固定されているところ,この水素イオン指数が低下する方向に変動する病的過程をアシドーシスという。アシドーシスは,その原因により,呼吸性アシドーシスと代謝性アシドーシスとに分類される。
 呼吸性アシドーシスは,臨床的には,呼吸に係る筋・神経の障害,気道閉塞,胸腔と肺の病変によって発症し,過呼吸,努力呼吸,チアノーゼが認められる。
 代謝性アシドーシスは,臨床的には,下痢,腎尿細管性アシドーシス,糖尿病性アシドーシス,急性及び慢性腎不全などで最もしばしば認められる。


エ 飲酒と酩酊(甲B30,31)
(ア)酪酎の程度は,飲酒量によって左右され,酩酊の程度の診断に際しては,血中アルコール濃度値が最も有力な指標となりうるが,酩酊の程度と血中アルコール濃度との相関関係には,大きな個人差がある。多数の飲酒実験と解剖死体のデー夕をまとめたものとして,以下のような血中アルコール濃度と酩酊度の相関関係がある。
@ 血中濃度0.5〜1.O mg/ml (弱度酩酊)
 顔面紅潮,快活,軽度の血圧上昇がみられるが,人格は保たれおり,人によっては無症状のこともある。
A 血中濃度1.0〜1.5mg/m1(軽度酩酊)
 多幸感出現,自信過剰,注意力減退
B 血中濃度1.5〜2.5 mg/ml。(中等度酩酊)
 情緒浮動,興奮,千鳥足,判断力が鈍り,言語不明りょうとなる。
C 血中濃度2.5〜3.5 mg/ml。(強度酩酊)
 運動失調が著明で,歩行困難となり,感覚麻痺,意識混濁に至り,ときにはこん迷,こん睡状態となる。


(イ)アルコールが吸収されて血液中に入ると直ちに分解が起こり始める。
 分解は,吸収より著しく遅いため,血中アルコール濃度曲線は,急激な角度で上昇する。最高血中アルコール濃度は個人差が比較的大きいが,その平均は,飲酒量に比例している。体内のアルコール濃度は,最高濃度に達した後,上昇時に比して緩やかに下降するものであるが,このときの下降率は,ほぼ一定しており,血中アルコールの消失曲線が直線となることから,飲酒量からある一定時間経過したときの血中アルコール濃度は,計算式を用いて求めることができる。そして,かかる計算式には,ウィドマークの計算式を用いる方法と上野式算出法と呼ばれる計算方法とが用いられるところ,上野式算出法による血中アルコール濃度(mg/ml)に関する理論的最高値は,次の式で算定される。
 {飲酒量(ml)×アルコール濃度×アルコール比重(=0.8)}/
     {被測定者の体重(kg)×配分率(男子の場合は0,7)}
 そして,現実の血中アルコール濃度は,アルコールの欠損率(20から30%)と飲酒後の減少率(毎時0.12から0.19mg/ml)を考慮して算出するものとされている。
 なお,人が死亡すると,酵素によるアルコール分解は,ほとんど進行しなくなる。


(ウ)本件当時の酎ハイ飲料のアルコール含有量は,3.5%から5.5%程度であるところ,貴紀が摂取した酎ハイの量を500ml,そのアルコール濃度を5.5%,貴紀の体重が60kgと仮定して,上野式算出法により貴紀の血中アルコール濃度の理論的最高値を求めると,以下の算式より,0.524mg/ml となる。
     (500×0.055×0.8)/
         60×0.7

 


2 貴紀の労働時間について
(1) 

 前記争いのない事実等,前記認定事実及び前掲証拠によれば,平成13年5月8日から同年6月6日までの期間において,貴紀は,別紙3勤務時間等表(認定)のV欄に記載のとおり合計338時間11分の拘束を受け,このうち労働時間は同表W欄に記載のとおり合計310時間11分であると認められ,労働基準法32条1項所定の1週間に40時間という労働時間の規制に従って,貴紀の時間外労働時間を算出すると,以下のとおり,上記期間における貴紀の時間外労働時間は,約138時間46分となる。
     310時間で11分−40時間÷7日間×30日
     ≒310時間11分−171時間25分
     ≒138時聞46分


(2) 

 上記貴紀の労働時間を認定した理由は,以下のとおりである。
ア 貴紀の勤務日,勤務区分について
 原告正章本人尋問の結果により貴紀が自室の机の前に貼り付けていたと認められる勤務ローテーション表(甲A23,24)には,貴紀の出勤日及び勤務区分を訂正した手書きの書き込みがあるところ,通常,そのような書き込みが行われるのは,その者の勤務日及び勤務体制の指定が変更となったことを明示するためであり,同表の訂正後の記載は,貴紀の実際の勤務日及び勤務区分を示すものと推認でき,これを覆すに足りる証拠や事情が存しないことは後記(3)のとおりである。 したがって,貴紀の勤務日及び勤務区分の指定については,これらに基づいて認定するのが相当であり,その内容は別紙1勤務時間等表のV欄のとおりである。これに対し,原告らは同表で休みと記載された平成13年5月28日と同年6月2日についても実際には勤務していたと主張するが,これを認めるに足りる的確な証拠はない。


イ 始業時聞
 永覚店では,通常,午前9時50分から朝礼が行われ,貴紀は早番及び通し勤務の際,これに参加した。したがって,貴紀が早番勤務又は通し勤務を行った日については,10分間の前残業があったと認めるのが相当である。


ウ 休憩時間
 証拠(乙17・12項,19・12項,26・14項,証人E36頁など)によれば,貴紀については,1時間の昼休憩が与えられることになっていたにもかかわらず,休憩時間中に客から薬品等について説明を求められた揚合には,休憩時間を中断して説明することになっていたことが認められる。したがって,昼休憩の時間でも必ずしも労働から解放されていたということはできない。他方,その後,夕方までの間にある程度の休憩が取れた可能性も否定できない。
 以上の点を考慮すると,貴紀の1日当たりの労働時間から休憩時間として1時間を控除するのが相当である。


エ 貴紀の退店時間
 前掲証拠,特にE及びTの労働基準監督署での聴取書等(甲A19,32,33)に,当時,店舗を施錠して帰宅する際は一人で行わず,複数の者が残ってー緒に帰宅するようにとの指示が被告からされていたこと(甲A 12,19,乙19)を併せれば,別紙1勤務時間等表のV欄のとおり遅番及び通し勤務であったこの間,貴紀は店舗が施錠されるまで居残っていたものと認めるのが相当である。なお,証人Eは労働基準監督署での聴取書(甲A19)の趣旨が上記のようなものであることを否定するが,不合理かつ不自然であって信用できず,これに反するその他の証拠も上記証拠に照らして採用できない。また,被告は,Kが,勤務終了後,永覚店内に一人で残って食事をしたり,仮眠をしたりすることが度々あったとも主張し,Kの陳述書(乙22)には一部これに沿う部分があるがそもそもそのようにして職場に居残る必要があるとは認め難く,Kの労働基準監督署での聴取書(甲A18)の記載内容に照らしても,採用し難い。


オ 貴紀の営業終了後から退店時間までの労働時間性
 前記認定事実に照らし,貴紀には,所定労働時間後にも行うべき業務があり,また,貴紀の仕事に対する姿勢から,EやKが残業をしている場合に,これを手伝ったり,又はその必要が生じる場合に備えて待機するべく居残ったものと認めるのが相当である。これに反する被告の主張及びそれに沿う証拠はいずれも後記(3)のように不自然であるなど採用できない。
 これによれば,上記時間の労働時間性が肯定される。


(3) 被告の主張及び提出証拠について
 被告は,勤務ローテーション表と一致しない勤務表の記載が正確であるとして,貴紀の時間外労働時間が各月の勤務表のとおりであると主張し,かつこれと一致する内容の貴紀の勤務状況を別紙2貴紀の勤務状況(被告主張)のとおり詳細に主張し,Eらはこれに沿う供述をする(乙21,22, 証人E,証人K)。
 しかし,ローテーション表の提出者であり,かつ,勤務表の管理責任者であったEは,平成13年5月23日と24日に貴紀が休日を取得したかにつき,平成16年8月6日に受けた労働基準監督署での事情聴取において,勤務表と勤務ローテーション表の記載が一致しない理由を尋ねられて,いずれが正しいか記憶がないと答えており(甲A19・37項),同人の証人尋問においても,平成13年5月23日と24日に貴紀が休日を取得したか記憶がないと答えている(同証人40,41頁)。このように2日続けて休日を取得したか勤務したかというような重要な部分について,事実がどうであったか記憶がなく,勤務表と勤務ローテーション表の記載が一致しない理由も説明できない以上,この間に作成された上記陳述書や証人Eらの証言のうち,被告の上記主張に沿う部分及び勤務表の記載は全体として信用することができない。なお,付言すると,勤務表は,長期間にわたって,連日同じ時間数の残業をしたとされたり,一か月の残業時間数が同一であったりするなど不自然な点が多く,また,これらは後日まとめて記載していたというのであるから,実際よりも抑制した時間数を記載していた疑いがある。
 また,被告は,通し勤務が多かったとするE及びKの労働基準監督署での聴取書(甲A 18,19)は,事情聴取当時に顕在化した薬剤師不在問題を隠ぺいするため虚偽を述べたものであり,貴紀の通し勤務はむしろ少なかった旨主張し,証人E及び証人Kはこれに沿う供述をする。しかし,薬品に関する接客業務には薬剤師が対応しなければならないのであるから,営業時間中は薬剤師を勤務させる必要があり,Ksも,ブロック長として多数の店舗を担当していれば日常的に貴紀の不在時の穴埋めをするわけにはいかず(なお,薬剤師不在問題を隠ぺいするため虚偽を述べたとの主張及び供述はこのことを前提とするものである。),現に貴紀の死後,管理薬剤師となったKmは通し勤務が多かったこと(証人Km3頁)に照らしても,被告の上記主張及びこれに沿う証拠は採用できない。なお,証人Eが, 自ら貴紀に多数の通し勤務を割り当てた勤務ローテーション表(乙4)を作成しながら,これをすべて変更した結果,平成12年6月下旬から平成13年4月上旬までの間,貴紀には通し勤務が一度もなかったとする供述は,特に不合理である。
 以上のとおりであるから,貴紀は,Iが異勤し,薬剤師が貴紀一人となった平成12年10月以降,平成13年4月16日から6月15日までの間と同様におおむね5分の3の割合で通し勤務を行った(甲A23,24)と認めることができる。

 


3 争点(1)(貴紀の業務と死亡との間に相当因果関係があるか。)について
 (1) 

 まず,貴紀は,死亡する1か月前の平成13年5月8日から同年6月6日までの期間において,合計338時間11分の拘束を受け,労働時間も合計310時間11分に及び,このうち時間外労働時間は,およそ138時間46分に上ることになるところ,これに貴紀の通勤時間も考慮すると,必要な睡眠時間の確保も難しく,貴紀が従事した業務は,その労働時間に照らして,著しく過重であり,心室細動などの致死性不整脈を成因とする心臓突然死を含む心停止発症の原因となるものであったというべきである。
 また,貴紀は,平成12年10月16日以降,永覚店に勤務する唯一の薬剤師となり,休みが取りづらくなる一方,通し勤務や残業が多くなっていた。
 さらに,貴紀は,管理薬剤師として,責任ある立場で業務に従事し,医薬品に関する接客業務においては,副作用や禁忌などに配慮するなどの慎重な対応が求められ,また,接客の合間をぬって,販売促進用のPOPの制作・商品の補充等をし,重い商品の運搬などの肉体労働にも従事し,営業時間中は,複数の業務を効率良くこなすために,店舗内を走り回ったりもし,その業務内容は貴紀に対して一定の身体的負荷を及ぼすものであったというべきであるから,貴紀の業務は,質的にみても心身の負担となるものであった。このように貴紀の業務は,平成12年10月16日以降,疲労を蓄積させるようなものであったといえる。特に,死亡する1か月前の平成13年5月8日から同年6月8日までの期間中は,恒例のセールのほか,A店の開店協賛セールのために多忙を極め,その後もKの異動などに伴う業務が加わったものであるから,同期間中における1時間当たりの労働密度はー層高かったというべきである。


(2)

 次に,前記認定事実に証拠(甲B29,32)を併せると,貴紀は,被告入社前は健康であったにもかかわらず,Iが異動し薬剤師が自分一人になった平成12年10月中旬以降,体重が減少し,吹き出物ができて治らない,風邪をひいてこじれる,立ちくらみがするなどの体調不良の状態となり,特に多忙となった5月中旬以降は,さらに,甚だしい疲労状態となり,交際相手に「このまま行くと本当に死ぬかもしれない。」などと訴えていたこと,死亡の前日は,特段変わった様子もなく,焼き肉をよく食べ,いったん帰宅後,Tと出かけ,ケーキを食べ,酎ハイを一杯飲んで午前2時ころ就寝したこと,そして,午前5時ころまでの間にTが気づかないまま死亡したこと,貴紀に何らかの死に至る原因疾患があったとはうかがえないこと,このような場合には,心室細動などの致死性不整脈により瞬間的に重い意識障害に陥り心停止に至った可能性が高いことが認められる。


(3) 

 以上の外,貴紀の年齢や死亡前1か月間に休日が2日しか取得できなかったことなども考慮すると,貴紀は,過重な業務により心室細動等の致死性不整脈を発症して心停止に至って死亡したものであると推認することができ,これによれば両者間には相当因果関係が存するものというべきである。


(4)

ア これに対し,被告は,貴紀の死亡原因は,吐しゃ物を誤えんしたことにより気道が閉塞し,これにより窒息したことにあると主張し,これに沿うN医師の平成18年9月30日付け意見書(乙36)及び同医師の平成19年4月30日付け意見書(乙44)を提出するので検計する。


イ まず,本件において,貴紀の気道が吐しゃ物で閉塞していたことは争いがないが,おう吐が1次的に生じて,吐しゃ物を貴紀が誤えんして気道を閉塞させ,窒息するに至るためには,貴紀のえん下反射又はせき反射(異物が気道に侵入するのを防ぐために,異物を喀出除去しようとする反射)が著しく低下あるいは消失するに足りる意識障害が起きたことが必要である。しかしながら,貴紀が摂取したアルコールは,酎ハイ1杯程度にとどまり,貴紀が通常人よりもアルコール類に弱い体質であったことを最大限に考慮しても(貴紀は,Tとワインをたまに飲むことがあったのであるから,わずかな量のアルコール類の摂取により,病的に,著しく酩酊するということは想定できない。),これにより貴紀にせき反射等を消失させるような意識障害が起きることはないというべきである。ちなみに,仮に貴紀の飲酒量を最大と見ても,貴紀の血中アルコール濃度の理諭的最高値は,0.524 mg/mlにとどまり,かかる血中アルコール濃度では,せいぜい,顔面が紅潮したり,軽度の血圧上昇が見られる程度の弱度酩酊に至るにすぎず,多幸感出現等の軽度酩酊にも達しないのであって,感覚麻痺や意識混濁に陥り,ときにこん睡状態となりうる強度酩酊の血中アルコール濃度である2.5から3.5mg/mlまでは,約5倍から7倍もの開きがある。
 また,貴紀が,酎ハイ1杯程度を飲んだことにより,上記の意識障害に至る程度の深い睡眠に陥ったとも考えられない(甲A32の1。なお, この点に関する乙44は,添付資料の事例の血中アルコール濃度に照らし,採用できない。)。


ウ 次に,被告は,貴紀が藤田保健衛生大学病院に搬送された後に採取された血液から,ASTが3583IU/l,ALTが5192IU/l,カリウムが22.9 mEq/l と,それぞれ基準範囲を顕著に上回る数値で検出されたことをもって,窒息状態が継続していたこと,ひいては,これが第一次的に発生したことを裏付けようとする。
 しかし,前記イのとおり,貴紀が高度の意識障害の状態にあったことは否定できるのであり,そうすると窒息状態が継続している間に隣で寝ている交際相手が気付かないとは考え難いのであって,この点において既に被告の上記主張は採用できない。そして,この点を措くとしても,カリウムが上記数値であったことについては,貴紀の死亡時刻が午前2時ころから午前3時ころであり,血液検査に供された血液の採取時刻が仮に甲B1の検査伝票に記載された午前8時43分であったとすれば,平成13年6月7日午前2時から午前8時までの間,貴紀が死亡した場所である愛知県豊明市所在のTのアパートの室温が約20度であったことからすると,上記のカリウム数値は,死後溶血によるものとして,合理的な説明が可能である(甲B32添付資料5)。
 次に,AST及びALTが上記数値だったことについて,AST及びALTは全身の細胞に分布し,甲B32の1によれば,死戦期,死後の細胞からの逸脱によっても,上記数値は説明可能であることが認められる。


エ さらに,被告は,貴紀の胸部レントゲン写真(乙45の1・2)によれば,右肺上野に皮下気腫が語められ,右肺の上野から下野にかけては気胸が認められ,また,左肺上野にも気胸が疑われるとした上で,これらの陰影によって,貴紀が窒息したことが裏付けられると指摘する。
 しかし,気胸について,被告が依拠するN医師の平成19年4月30日付け意見書(乙44)は,蘇生措置で実施された人工呼吸で圧力がかかって,肺胞が過膨張して破れた可能性を否定できないとしつつ,窒息による呼吸不全による可能性が高いとするものの,その理由が述べられていないから採用できない。なお,被告は,気胸を発生させるほどの胸郭圧迫があれば肋骨骨折を起こすことを前提に,肋骨骨折が認められない本件ではかかる可能性は否定されると指擲するが,その前提を認めるに足りる証拠はないから,同指摘も採用できない。また,皮下気腫の存在が窒息の裏付けとなることを示す的確な証拠はない。
 次に,被告は,上記レントゲン写真によれば,貴紀の気道支内の複数箇所に吸入された吐しゃ物と認められる異物の陰影が諾められると指摘する。

 しかし,レントゲン写真に写った陰影は,血管の可能性もあることが認められ,吐しゃ物であると認めることができる的確な証拠はない。


オ 以上のとおりであるから,上記の被告の主張は,前記(3)の認定を左右するものではなく,採用することができない。

 


4 争点(2)について
 一般に,使用者は,その雇用する労働者に対し,当該労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し,業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことのないように注意すべき義務(安全配慮義務)を負うと解される。本件において,被告も貴紀に対して,かかる義務を負っており,貴紀に対し,かかる義務の具体的内容として,労働時間等について適切な労働条件を確保する義務を負っていたものというべきである。
 しかるに,被告は,平成13年5月8日から6月6日までの間において,労働基準法32条1項に照らすと,およそ138時間46分にも上る時間外労働に貴紀を従事させ,また,この期間中,貴紀に対して,わずか2日間の休日しか与えず,これにより,貴紀は,業務に伴う疲労を過度に蓄積していったものである。そして,被告は,永覚店店長であるEらを通じるなどして,このような過重労働の実態を十分に認識できたものといえるし,これにより疲労やストレスなどが過度に蓄積し,労働者の心身の健康を損なう危険があることは周知のとおりであることからすれば,被告は,貴紀の死亡について予見することが可能であったというべきである。
 以上によれば,被告は,安全配慮義務に違反しており,貴紀の死亡に対して債務不履行責任を負う。

 


5 争点(3)について


(1) 貴紀に生じた損害(弁護士費用は除く。) 合計 万 円

ア 死亡による逸失利益 万 円
 貴紀は,死亡当時24歳で,北陸大学薬学部を卒業後,薬剤師の免許を持って,従業員2000人を超える(甲A58)被告に入社後,1年強しか経過しておらず,今後も被告ないし同程度の企業に勤務するなどして昇給する可能性が合理的に期待されていたというべきである。かかる昇給可能性に照らせば,貴紀は,平成13年賃金構造基本統計調査第1巻第1表の企業規模従業員1000人以上の企業・産業計・男性労働者・大卒・全年齢の年間平均給与額を下らない 万 円を67歳まで受給できた蓋然性が推認できる。
 また,貴紀が死亡時独身であったこと(甲A1)を考慮すると,逸失利益算定の前提となる生活費控除率は,50%とするのが相当である。
 そして,中間利息控除については,民法所定年5分の割合により(最高裁平成16年(受)第1888号同17年6月14目第三小法廷判決・民集第59巻5号983頁参照),ライプニッツ法により行うのが相当であるところ,死亡時年齢である24歳から67歳までの就労可能年数43年間に対応するライプニッツ計数は17.5459である。
  以上より,貴紀の死亡による逸失利益は, 万 円と認めるのが相当である。
     万 円×50%×17.5459= 万 円
                            (1円未満切捨て)


イ 慰謝料 万円
 薬剤師の免許を取得し,志半ばで死亡するに至った貴紀の無念さは察するに余りあるといえ,その他,本件に現れた一切の事情を考慮すると,貴紀が被告における過重な業務に従事して死亡により被った精神的苦痛の慰謝料は, 万円とするのが相当である。


ウ 葬儀費用 万円
 本件と相当因果関係がある貴紀の葬儀費用としては,万円をもって相当と認める。


(2) 損益相殺
 原告らは,豊田労働基準監督署長が貴紀の死亡を業務に起因する災害であると認定したことにより,労働者災害補償保険金として,遺族補償一時金 万 円,葬祭料万 円を受け取っているから,前者については,上記(1)アの死亡による逸失利益から,後者については,上記(1)ウの葬儀費用からそれぞれ控除するのが相当である。
 したがって,弁護士費用を除き,損益相殺後の貴紀の損害金合計額は, 万 円となる。


(3)弁護士費用
 弁論の全趣旨によれば,本件と相当因果関係がある貴紀の弁護士費用としては, 万円をもって相当であると認めることができる。


(4) 小括
 以上より,被告は,安全配慮義務に違反して,貴紀を過重な業務に従事させ,よって同人を死亡させたものであり,これにより,貴紀は, 万 円の損害を受けたと認められる。
 そして,原告らは,各2分の1の割合で貴紀の上記損害賠償請求権を相続したと認められるから,原告らは,それぞれ,被告に対し, 万 円の債務不履行に基づ<損害賠償請求権を有する(1円未満切捨て)。


(5) 遅延損害金の起算点
 原告らは,本件のような死亡事故による損害賠價請求においては,不法行為に基づく場合と安全配慮義務違反に基づく揚合とを区別することに合理的理由はないとして,後者の場合においても,事故発生の日から損害賠償責務について付遅滞の効果が生じると解すべきであると指摘する。
 しかし,安全配慮義務違反を理由とする債務不履行に基づく損害賠償債務は,期限の定めのない債務であり,民法412項3項により,その債務者は債権者からの履行の請求を受けた時にはじめて遅滞に陥るものというべきである
 そして,本件では,被告に対する訴状の送達が平成17年2月18日にされているところ(当裁判所に顕著),これをもって,被告は,原告らから履行の請求を受けたものと認められるから,遅延損害金の起算日としては,訴状送達の日の翌日である平成17年2月19日と解すべきである。
 なお,遅延損害金の利率については,安全配慮義務違反の根拠となる雇用契約が商行為であるとしても,安全配慮義務の不履行による損害賠償債務は,同義務の履行を怠ったことから別途生じた債務であり,同義務の変形物ないし代替物であるとはいえず,同義務と同一性を有するとは認められないほか,同債務の消滅時効期間は民法所定の10年間と解するのが相当であることとの均衡からも,商法514条の適用はなく,民法上の法定利率によるべきものといわなければならない。
 


結 論
 以上のとおりであるから,原告らの本件主位的請求は,債務不履行に基づく損害賠償金として,各 万 円及びこれらに対する平成17年2月19日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余の部分については理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。
 


名古屋地方裁判所民事第1部

 

 

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