スギヤマ薬品の薬剤師

 杉山貴紀は何故過労死
したのか?

 

 

平成19年7月20日第16回口頭弁論(結審)

 

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○平成19年7月20日 午前11時〜

 名古屋地方裁判所 1103法廷にて第16回口頭弁論(結審)がありました。



証人尋問を終え、ひとこと      兄:杉山季謙
 

前回の証人尋問を終え、今回でいよいよ結審を迎える事になりました。

 

結審というからには、互いの提出書類が出揃い、最終意見陳述及び最終弁論となるわけですが、なかなかすんなりとはいきませんでした。

今回の結審に対する書面提出期限は7月13日だったのですが、被告会社(スギヤマ薬品(ドラッグスギヤマ))の準備書面提出が期限に遅れ、担当原告側弁護士の手元に届いたのが、なんと当日の朝という事態になってしまったためです。

その書面内容は主に医学的意見であり、原告側がすぐに反論書面を作成提出できるようなものでもありませんでした。

そこで、原告側はこの期限後提出書面の却下を申立てました。裁判長及び裁判官が20分ほど審理に入りましたが、結局却下はされず。7月30日までに、この書面に対する反論書面を提出するという事になりました。 また、裁判長より、本裁判は医学論争になるべきでは無い、との確認がなされました。

 

以前から、被告会社側の書面提出が遅れることがしばしばあり、あたかも後出しジャンケンのような状況がおこっていたのですが、この期に及んでも・・・。

 

 

上記のやりとりがあったため、最終意見陳述は、11時35分から始まりました。

以下、法廷で両親が読み上げた内容を記載致します。

 

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○最終意見陳述

  父 杉山正章

 

先ず、貴重なお時間を頂きました事に、お礼を申し上げます。

今まで、何度となく陳述書を提出させて頂きましたが、息子の死を無駄にしたくないという私の気持ちは、亡くなった6年前となんら変わっておりません。

豊田労働基準監督署に労災申請をし、2年以上の調査を基に、平成16年10月、過重労働が息子の死因であるとの労災認定を頂きました。

本裁判では、劣悪な労働環境による息子の肉体的・精神的苦痛と、スギヤマ薬品のズサンな管理体制が、回を重ねるごとに暴露されてきました。

そして、先日の証人尋問は、私にとって、人間の醜さをまざまざと見せ付けられた一日でした。

6年前の記憶に基づいてと、まるでビデオでも観ているような準備書面を提出し続けた挙句、証言台では「詳しくは覚えていない」と言い放つ。
特に、E店長の、明らか動揺し「嘘」の辻褄合わせに言葉もかすれ、何度も台本を思い出しながら証言している姿を見ると、貴紀が上司と崇めた人物とは到底思えませんでした。

貴紀の笑顔を思い出して頂きたい。
そして、なぜ死ななければならなかったのか?辻褄合わせではなく、真実を話して頂きたいと望んでやみません。


また、会社は、私共の再三の遺品返還要求にも「何処にやったかわからない!」と、未だに全く応じて頂けていません。
遺族として、このような会社の態度に、謝罪や反省などと言う事は寸分も感じられませんし、息子の命を軽んじているとしか思えません。

そして、このような会社の体質は、今後も社員を苦しめ続け、近い将来、第二の貴紀を出す事になると思います。

私も会社経営者のはしくれですが、社員にとって、会社での自己管理は当たり前だと考えています。ただし、会社の労働環境が整った上での自己管理です。

被告会社は、貴紀の過労死を風化させる事なく強く反省するとともに、これをターニングポイントとして、労働環境改善に努力してほしいと、心から切望しております。


ドラッグストア業界では、薬事法改正で「登録販売者」の隠れミノを得て、今後も薬剤師不在という不法行為が、大手を振ってまかり通ると思われます。

法を破る事が、利益優先のための暗黙の了解なのでしょうか?

私は今まで、「利益をとるか、真実をとるか」と言われたら、迷わず「真実」を取って参りました。部下にもそのように指導して来ました。経営者として甘いと言われるかもしれませんが、必ず、社会が受け入れてくれると信じて、今まで仕事に取り組んで参りました。

これからもそれが正論だと胸を張っていけるような判決を、そして息子貴紀の死を無駄にしない判決を要請致します。


結審に当って  杉山貴紀の父親、原告、杉山正章
 

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○最終意見陳述

  母 杉山 ふじ江

 

絶望の日々が始まり6年2か月が経とうとしています
そして、お墓参りが私の日課になった、この6年2ヶ月でもあります。

貴紀が帰省した平成13年4月22日午後2時ごろ、家の玄関を出ながら「もう少し頑張れるだけ頑張ってみるよ。」と痩せ細った顔で言い、見送る私に「ババッ」とクラクションを鳴らし、運転席の窓から手を出し高く上げ、何度も大きく振りながら車を走らせ名古屋へ戻った、私が見た貴紀の 生前の最後の姿でした。
その日から約1ヵ月半後、貴紀はこの世の人ではなくなってしまいました。
病院のベッドに寝かされ全身に白い布が掛けられた、冷たくやせ細った哀れな姿の、とても悲しい顔をした貴紀を目にした時、私は「過労死」を確信しました。スギヤマ薬品に命を奪われてしまったのです。

たった24歳、なんて短い人生だったのでしょう・・・。

平成16年10月18日、豊田労働基準監督署長から「過労死」との「労災認定」を頂きました。やっと貴紀が命がけで頑張ったことが認められ、墓前に報告ができた日でした。
どんなに辛かっただろう、死んでしまうんだから・・・親として救ってあげられなかったことが悔やまれて号涙した日でもありました。

その「労災認定」に対しスギヤマ薬品は決して認めようとしませんでした。異論を唱え難癖を付けながら拒み続けています。そして今はこの世にいない貴紀を侮辱し、私共遺族をいつまでも苦しませています。がむしゃら に馬車馬のように働かされ、沢山のただ働きをさせられた末、貴紀は死んでしまいました。さぞかし無念でいるだろうと思います。
そして私達家族にとって何にも代え難い大切な宝物を奪い、家族全員の人生を狂わしたスギヤマ薬品の経営者、幹部、上司他、絶対に許す事は出来ません。

この裁判が始まり2年5ヶ月になります。裁判の回を重ねる毎に、スギヤマ薬品のズサンな労務管理が明らかになりました。勤務表は1ヶ月まとめて印を押す!ローテーション表はすぐ捨てた!とても、とても驚きました。このズサンな労務管理の中で、お給料が支払われていたのですね。いい加減な「どんぶり勘定」と言う言葉がぴったりだと思います。このズサン極まりない管理体制が死を招き、貴紀は犠牲になったのです。

スギヤマ薬品から提出される準備書面を読む度に、貴紀専属のカメラマンか空想作家が居たのではと思ってしまいました。すべて「記憶」でっちあげの作文ではないでしょうか。
そしてロッカー内の遺品は分からなくなってしまった!なぜ分からないのでしょうか!捨てたのですか?会社に取ってよほど都合の悪い証拠物があったのだと、私は解釈しています。下着とタバコも有ったと聞きます。貴紀が最期に残し、生きた証なのです。返して下さい!母親としてせめて大切に、大切にしまって置いてあげたいのです。

思い起こせば、「労災認定」が下された要因の一つには、退社されたパート、アルバイトの方々の暖かいご協力のお言葉を頂けた事があげられると思います。皆さん全員の方が、私共の突然の訪問にも関わらず、本当に親身になってお話して下さいました。伺っていて心から貴紀の死を悲しんで下さっている事がひしひしと私の胸を打ちました。とても有りがたかったです。今も感謝の思いでいっぱいです。
その優しい方々を、スギヤマ薬品側の弁護士先生は反訳書を持ち、撤回の陳述書を書く為に訪問されています。どの様なお話をしながら訪問なさったのでしょうか?陳述書を読ませて頂き、信じられない思いで愕然としました。「同情してつい言ってしまった」「あの時は可哀想で」等々、いくら同情したり可哀想だったからとしても、有りもしない嘘を言いながら涙ぐむ人がいるのでしょうか?私は解っています。いつか改めて皆様にはお礼に伺わせて頂こうと考えています。

労災認定をきっかけに長男が、貴紀の為にとホームページを開設しました。
中傷を覚悟での開設でしたが、数え切れない程頂くメールの中でも、心無いメールは一つとしてありませんでした。
頂いたメールの半分以上が、スギヤマ薬品を退社した薬剤師さん、パート、アルバイトさん、今お勤めされている方々からのメールです。それは全て励ましのメールばかりでした。
メールを読む度に、今でも何も変わっていない、なんて酷い会社なんだろうと改めて認識しました。こんな会社の中で、あの当時の貴紀は、新人としてこき使われたら死ぬ訳だとはっきり解った時、体の震えが止まりませんでした。
頂いたメールの中から2〜3人の方を抜粋して書かせて頂きたいと思います。

「私はスギヤマ薬品に勤めていた薬剤師です。私がスギヤマ薬品を辞めた理由は労働時間が長い事、肉体的な業務のきつさ、薬剤師としての業務が殆んど無い事、体が辛く大変で体が言う事をきかないほど疲労困憊し、連続勤務明けのお休みの日、一人家で大声で泣き崩れ、一日中寝ていた事を思い出します。もう絶対にスギヤマでは働きたくないと思っています。」(女性の方です)

「薬剤師としてスギヤマで働いていました。薬剤師不足で通し勤務続き、体調がどんなに悪くても代わりの薬剤師がいないため、ふらふらで出勤することもありました。人間らしい生活がしたくてスギヤマを退社しました。」(女性の方です)

「以前、永覚店を訪問していた業者の者です。「僕も会社の名前と同じ杉山なんです!」と言ったのが印象深かった。こちらが依頼したことをきちんとメモにとり、店内を走っていた姿を覚えています。すごく訪問するのが楽しかった!残念です。」(男性の方です)

この様なメールを頂き、読む度に貴紀の姿が浮かんで来ます。良き先輩と指導者のもとで丁寧に育てて行って欲しかった。きっと思いやりのある薬剤師に成長したと思います。残念でなりません。

先日証人尋問が行われ、あの日のE店長の姿は、貴紀が心底から信じた方とは到底思えませんでした。もどもどしながらも何故あの様なことを言わなければならなかったのでしょう。 そして「シャチハタはお母さんに返した。」とも言っています。全くの嘘、デタラメなのです。保身の為、筋書き通りに暗記してきた様子がはっきり解りました。6年2ヶ月前のあの日、病院で貴紀の亡骸の横にかが み込み「杉山にはどれだけ助けられていたか。」と目に涙をいっぱい溜めながら言った言葉、忘れていないはずです。ご自分の胸に手を当て、よ〜くお考え頂きたいと思います。きっと真実の貴紀が見えるはずです。
そして、スギヤマ薬品が申請した証人三人の内二人はもう退社されていた事、スギヤマがどんな会社なのか一目瞭然だと思いました。

監督署で言った事は嘘だったと三人が口裏あわせの通り言っていたのには、本当に呆れてしまいました。都合が悪くなればどこででも嘘を言う事が証明されたのではないでしょうか。許せない思いでいっぱいです。

この裁判の2年5ヶ月の間、裁判長、裁判官の方々には、私どもの気持ちを、受け止めて下さっていたと感じております。

社会に出たばかりの新人に大きな責任を押し付け、周りのサポートも得られず、
もがき苦しみ仕事をこなし続けた貴紀だったと思います。

とある記事に、客に「健康」を説く前に・・・と、スギヤマ薬品に対してのコメントが載せてありました。その通りだと思います。スギヤマ薬品の労働環境の改善を願うと共にスギヤマ薬品が反省し二度と同じ犠牲者を出さぬ様、そして人間らしい心を持ち、健康のサポートをして頂きたいと願っております。

私共家族にとって大切な掛け替えのない宝物の貴紀でした。
子を先に送らなければならなかった親の苦しみ、是非お察し頂き公正な判決を頂けますようお願い申し上げます。
 

原告本人 杉山ふじ江

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今回も大勢の方々に裁判所までお越し頂きました。本当にありがとうございました。

そして、 次回はついに判決となります。

 

貴紀の死が無駄にならぬよう、また応援して下さっている方々の為にも、勝利の判決を願って止みません。

 

 

次回 平成19年10月5日(金)午後1時10分〜名古屋地方裁判所1103法廷にて判決が言い渡されます。

 

 

 

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